隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯47 Hotel Californiaを和訳してみた

https://m.youtube.com/watch?v=8UAlD8SI-6U


Hotel California

On a dark desert highway,
Cool wind in my hair,
Warm smell of “colitas”
Rising up through the air,
Up ahead in the distance
I saw a shimmering light,
My head grew heavy and my sight grew dim,
I had to stop for the night.

暗い砂漠の道すがら
涼しい風に髪がなびいて
暖かいコリタスの香りが湧きおこる
ふと前の方に目をやると
おぼろげな光が見えてきた
頭は重いし視界もおぼつかない
今夜はどこぞで泊まっていかなきゃならないな

There she stood in the doorway,
I heard the mission bell
And I was thinkin’ to myself :
“This could be heaven and this could be hell”
Then she lit up a candle,
And she showed me the way,
There were voices down the corridor,
I thought I heard them say

彼女は玄関に立っていた
すると礼拝の鐘が聞こえてきて
『ここは天国、それとも地獄?』
なんて疑問が頭に浮かぶ
ろうそくの明かりで見えてくる回廊
そこを歩いていたら声が聞こえてきた
そしてそれはこんなことを言っていた

Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California,
Any time of year,
(Any time of year)
You can find it here

ホテルカリフォルニアにようこそ
ここはとてもよいところ
ここはとても素敵な顔ぶれ
ホテルカリフォルニアはたくさんのお部屋をご用意しております
年中いつでも
あなたのご利用をお待ちしております

Her mind is Tiffany-twisted,
She got the Mercedes Bends,
She got a lot of pretty, pretty boys
she calls friends
How they dance in the courtyard,
Sweet summer sweat
Some dance to remember,
Some dance to forget

彼女の心はティファニーのように捻れて
夢とうつつの区別も出来なくなった
彼女はかわいいかわいい男の子をたくさんはべらせて
彼らをオトモダチと呼んでいる
中庭では人々が踊っている
甘く夏の汗
何かを思い出すために踊る人
何かを忘れるために踊る人

So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said, “We haven’t had that spirit here
Since nineteen sixty-nine”
And still those voices are calling from far away,
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say:

僕はというと、給仕長を呼んでご注文
『僕にぴったりのワインを一つ』
すると彼は答えた
『そのような物は1969年以降置いていないのです』
遠い彼方から僕を呼ぶ声が止まらない
真夜中
僕にこんな事を言う声が止まらない

Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely face
They’re livin’ it up at the Hotel California,
What a nice surprise,
(What a nice surprise)
Bring your alibis

ホテルカリフォルニアへようこそ
ここはとてもよいところ
とても素敵な顔ぶれ
皆様ここでの暮らしを大変気に入っていただいております
素敵なサプライズを
口実のつくまでお楽しみください

Mirrors on the ceiling,
The pink champagne on ice, and she said:
“We are all just prisoners here,
Of our own device”
And in the master’s chambers
They gathered for the feast,
They stabbed it with their steely knives,
But they just can’t kill the beast

鏡張りの天井
氷の上にはピンク色のシャンパ
彼女がささやく
『みーんな好きでここに囚われてるのよ』
そして今まさに支配人の部屋に人が集まる
祝宴が始まるのだろう
人は鋭いナイフを突き立てるが獣は殺せない

Last thing I remember, I was running for the door,
I had to find the passage back to the place I was before,
“Relax,” said the night man, “We are programmed to receive,
You can check out anytime you like… but you can never leave

僕が最後に覚えているのは逃げているところだ
元いたところに戻る通路を見つけなければならない
『落ち着いてください』夜警の声
『我々はあなたのような人のためにここにいるのです』
『チェックアウトならいつでもどうぞ』
『でもあなたはもう立ち去ることは出来ません』




言わずと知れたThe Eaglesの1976年の名曲です。そして神秘的な詩がさまざまな解釈を巻き起こした一曲。

統一的な正しい解釈はおそらくないのでしょう。よく、ネットなどでコメントを見ていると麻薬中毒者の幻覚だとかラブホテルの歌だとかさんざんなものが出てきますが、そのように解してしまうにはあまりにもったいない世界観ではないでしょうか。

麻薬中毒という根拠は序盤の「colitas」で、これはマリファナの隠語だそうです。しかしそこから出てくるホテルカリフォルニアが全て幻覚の産物であるとしてしまうにはその後の歌詞があまりに意味深すぎます。

たとえば給仕長が1969年以降そのようなスピリットを置いていない、という一節がありますが、これもいくつかの意味が込められているといわれています。『1969年はウッドストックで大規模なロックフェスティバルが開催された年であり、それ以降ロックンローラーは商業主義に走るようになった。それまでの純粋な表現の手段としてロックをするようなスピリット(魂)は消え失せた』等。

しかし…

『何かを思い出すために踊る人、何かを忘れるために踊る人』
『鋭いナイフを突き立てるが獣は殺せない』
『チェックアウトは出来るが立ち去ることは出来ない』

何だか惹きつけられるものがありますね。僕は難しい意味はよく分かりませんが最後のギターがとても好きです。

♯46 テンション☆アゲアゲ『時は流れて面影』

ハレルゥヤ!ハレルゥヤ!

ヤヤッ、向こうの岸の道路が明るいぞ。あれはまさか、よもや近未来生命倫理学の重鎮ではあるまいか。

ハレルゥヤ!ハレルゥヤ!

やつが知ってるのは二つの言葉だけ。『ハレルゥヤ』と、『通時的解釈における私』これだけ。粋じゃねえこと考えてちゃダメさ。やつにとっての言葉は『通時的解釈における私』であって、これはそれ以上の何かではないんだ。

ハレルゥヤ!ハレルゥヤ!

オット、バカにしちゃいけないよ。彼は今ただ知っているひとつの言葉をリフレインさせているけれど、決してそれは「馬鹿のひとつ覚え」ではないのだ。やつが今ただリフレインするのはリフレインしたいからであってリフレインが何かを意味したりそれが今後何かのリフレインを予期させるということではない。ただ、ハレルゥヤ。

ハレルゥヤ!ハレルゥヤ!

彼にとっての引き出しは、開けるためのものではないんだよ。それはもっと意味のあるものだ。何かと問われるとそれは俺にもわからない。ハレルゥヤ!




アゲアゲ☆アゲアゲ☆アゲアゲ

あたかもよし、空も明るくなってきた。今日はお祭り日和だ。そんな日にやって来るのはこのドラゴン。名前は『雲竜』だ。覚える必要はほぼほぼないさ。今勝手につけただけだから。

アゲアゲ☆アゲアゲ☆アゲアゲ

地面を掘ったことはあるかい。イエスという人にだけ分かると思うのだが、土の量ってエグい。あれは正直言ってこいつの仕業さ。分かったら手をおろしなさい。クリティカルシンキングが得意な貴方様へ向けての顔面ローリングソバット。ローリングソバット。

アゲアゲ☆アゲアゲ☆アゲアゲ

この一連の虚言に僕はパイナポー。なにパイナポーかはさておいて。捨て置いて。じゃあ言わせてもらうけど、お前、死ぬよ。パイナポーなんて言わせねえよ。パイナポーはいつでも精神的滋養なのだ。貴様からその権利を剥奪する。一思いにやってやるからそこだけな。アゲアゲ☆


喪~喪~

こいつはこれまでのやつとはちょっと違う。喪失を麟粉のように撒いて去っていくのさ。

喪~喪~

震えているのか貴方様。恐怖はいけない。リラックスしなさい。

喪~喪~

死が二人を分かつ。でも残念ながらそれは死ではなかった。真っ赤な太陽だったんだ。信じるかどうかはそちら次第。でもそれはもう立派な、真っ赤な太陽だったんだ。アハ。

喪~喪~

自分でも自分が分からない瞬間に膝から血が出てきて、止まらなくて、のっぴきなんねえから膝をピザに取り替えたのさ!ウヘヘヘヘヘヘヘ。喪~喪~


そして小さな穴が開いて押して引いて指が入る大きさになってからはひたすらほじってかき混ぜて手が入る大きさになったら拳からいって腕が入って左手も入って頭が入って肩が入って腰までいったらちょっと休憩して膝が入って雄叫びをあげて正論を叩き潰して詭弁を死ぬまで屠っていつか必ず貴方様を見つけ出す。胸鎖乳突筋洗って待っててね。いつから必ず見つけ出す。洗っててね、胸鎖乳突筋。



故に、我あり。

♯45 Road of座カナダ支部通信2

セブを発ったのが10月の8日で、バンクーバーに到着したのが10月14日。だからこっちに来て大体一週間。セブは日本より1時間早くて、バンクーバーは日本より16時間遅い。合計17時間のひずみ。こんな短期間に日本を挟んでこんなに時差を体験するなんて、なんて新しい体験。しかも常夏から秋そして初冬。長旅。万歳飛行機。ほぼタイムマシン。文明の利器。

初冬だけど、さすがにまだ雪は降っていない。降らないでほしい。今はちょうど町中の葉っぱがきれいに赤だったり黄色だったりですごくきれい。道という道がイチョウ並木のイチョウの臭いがないバージョンみたい。のびのび、のんびり、のらりくらり。「の」の付く言葉の収まりのよさ。

住宅街は道がすごく大きいわりに人通りが少なくて寂しいような、何だろう。終末的である。昼なのに夕日よろしい日差しもあいまって。通学には16番のバスを使う。ダウンタウンの方はビルがたくさん並んでたり、ブランドショップが並んでたり。路地裏あり、中華街あり。何が違うのか全て挙げていけば日本の街並になるのかなとか思って海沿いの、景色の良い広場で息を吸う。町行く情景全てを英語で説明してみる遊び。さすがは一人旅の手練れといった風情。さすがは一人遊びムキムキゴリラといった風情。

有名なガスタウンというところには蒸気時計なる蒸気が吹き出る時計がある。たまにウェストミンスターの鐘が鳴る。授業の終わりのノスタルジア。セブのチャイムは乙女の祈りだった。つまり青森市の歩行者横断メロディと同じ。セブすなわち青森市。なんか疲れると思ったら靴がボロだったので買い換える。雪道はしっかり歩かないと転んでしまうのだ。

色恋の次第は万国さして変わらず。節操無き者あり。節操無く生きてはみたいが生きれぬ者もあり。また、一人を深く愛する者あり。やむを得ず一人を深く愛する者もあり。当事者になれぬ者、見物を決め込む者。道化とその批判。しかし主役はどこまでも道化。強く生きてほしい。

ダウンタウンから東へ。徐々にきな臭くなってくる。ちょうどイーストヘイスティングロードとメインストリートの交差点。ここは浮浪者と麻薬常習者の溜まり場。夜は歩かない方が良いと書いているが正直昼でも歩きたくない。たまに注射器落ちてるらしい。この前白髪の御仁が掴み合いしてるのを見たのもこのあたり。北米一位を争う犯罪率。平和と呼ばれるバンクーバーの光と影を見ることになる。16番のバスがここを通るから。

英語を絞り出すのには時間がかかるもんで、ネイティブはやっぱりあんまり待ってはくれない。でもそうやって流暢への道を歩んでるんだ堪忍してくれ。悲観というのは体の穴という穴から滲み出て来て、頼んでもいないのに運命にさえ干渉して。つまり、やってるはずの店がやってないとかやめてくれ。希望と不安の混濁はやっぱり曇ってて、希望はどこへいったんだって言いながら歩く速度をちょっと上げる。

海をまたいだ場所にいた人たちに対してやっぱり思うのは『鼻高え』で『彫り深え』で 『瞳青っ』募る望郷の念やついに満ちけれ。逢いたいはアイラブユー。逢いラブユー。逢いラブユー。ちなみにホストマザーはすごいいい人です。愛ラブユー。愛愛ユー。


♯44 私が英語を話せない理由を考察

一体何故なのか。カナダに来てまでそんなことをちまちまと考えている自分は情けないが考察してみました。その結果がこれ!


①単語を知らない

分かりやすい理由だよね。結核って言うときに「tuberculosis」を知らなかったら当然だけど一言で結核を伝えることは出来ない。話す前に単語が分からないから話し始められない。だから話せない。


って自分で言っておいて申し訳ないんだけど、共感されやすいからとりあえず一番に持ってきてみただけで、実はこれは違うんじゃなかろうか。というのは、案外どんな言葉も言い換えと例示で伝えることが出来るから。例えば上の例の結核をとっても

・肺の病気
・ガンじゃない
・口から血を吐く
・昔流行ったけど今は特効薬がある

というような情報を伝えることが出来れば案外向こうは察してくれる。言ってみれば単語を知らないというのは、あくまで伝わりにくいというだけの問題であって、英語を話せない理由ではないのではないか。というのが今の僕の見解です。つまり、確かに僕はそんなに単語を知らないけれど。知らないけれど英語を話せないのはそれが原因ではないということになる。ならばそれは一体何なのか。次に思い当たったのがこれです。


②話すことがない

これは大マジメに重要なファクターとして挙げねばなるまい。話すことって案外無いのだ。いや違うな。正確には、話すほどのことがない、かもしれない。いやもっと言ってしまって「話すほどのことじゃないと考えてしまう思考回路」かな。これはどういうことかというと、日常普通に日本語で話していると、つい感じてしまう一言がある。

「で?」

これである。「それを今ここで自分に言った意味は?」「オチは?」「それだけ?」など、万感のこもった一文字。幼稚園児や小学生レベルの英語力では、この「で?」を恐れると何も話すことができなくなってしまうのだ。「今日はすごい雨だけど別に言ってどうということもないしな~」なんてことを考えていたらもう何も話すことがない。何も話すことがなければ何も話さないし、何も話さなければいつまでたっても話せるようにはならない。こうなのである。これは何なんだって、たぶん『自分の話は面白くてこそ価値がある』っていう考えの傲慢な人間にこそ棲み付く病魔なんだよ。『面白くなくても、相手に何ら分かりやすいものをギブ出来なくても、俺の話を聞け!』雑に言うとそんな考え方が英語を話せるようにするのでは、なんて風に思う。なかなか難しいよね。

色んな国の人たちで授業受けてると、西洋や南米の人たちが次々と意見を言う。論争する。意味のあること意味のないジョークをひっきりなしに喋り続ける。で、日本人が何をしてるかっていうと、先生に当てられるのを待っている。どれだけその問題が分かっていても、言いたいって思っても、先生に当てられるのを待っている。なぜなら日本ではそれがスマートな態度だったから。なのに外国でそんな風にやると、やった途端から『自力では何一つチャンスをモノに出来ない残念なやつ』になってしまっているのだ。何が悪いとかじゃなくて文化が違うな。

そして次の理由がこれ。


③相手の喋っていることが聞き取れていない

『リスニングは受験の時にやったからある程度いけるんだよね~』ある程度の大学に行く学生の合言葉である。で、やっぱり僕もそんな風に見栄をはっていたんだけど、正直けっこう聞き取れない。質問されているのかどうかさえ分からないこともしばしば。何を聞かれているのか分からなければ『とりあえず勘違いしてるかもしれないが何か答える』が苦手である限り何も答えることが出来なくなる。そのうち「もういいよ、ありがとう」の言葉が飛んできて僕のターンは終了する。


日本人は読み書きが他の国の人より出来るのだという。これは僕もそうで、実際文法の授業で扱われることは全て大学受験の時にやったので知っている。ということは話せない原因というのはそのようなものではない。きっと、僕が英語を話せない原因はつまるところ

『何について話すべきかが分からない』

という状況に陥っていることなのではないだろうか。実際、何について話すべきかが分かったときは、背中に翼が生えたように身軽に言葉が出てくることはあったりする。


日本には対話する文化がない、とは平田オリザが確かどこかで言っていた。対話する文化は西洋のもので、日本にはない。なのに日本の演劇は西洋式に構成されている。だから日本の演劇は云々、と。せっかくスペインとかトルコとかブラジルとかシリアとかから来た人がいるのだから技術だけではなく、文化背景への深い理解と共に英語を上達していきたい。

しかし英語は上達しないのに日本語が下手になっているとはこれ如何に。

♯43 Road of座カナダ支部通信

続いて目指すは遥か彼方
勇む足音右手にガラナ
降るな降るな!まだ待て冬到来
オーライ将来、来るな苦しみ金輪際
街は人気無く車道はデカい
港の方はうってかわってビルとか高い
longでpunkで目指すは無敵のドンキーコング
待ちわびるぜウェストミンスター
鐘がゴング、マスターオブシュー
ムッシューあら待て滑るぜ雪道そのメッシュ
行け急いでけい肉体関係あーもう時間
駆けっこ、そしてこの道しかないその言葉しか知らねい
しがねえ一人の詩人にゃひと言
「ロードまたはドーロに於けるコリタスの効用」
やつが消えたのは北米の闇
喋れて光栄の極み
故郷で旧知の濡らす香炉
ヤク中問うた「お前何中」
インザ危険なイーストクロスロード
スローなビートで顰蹙買って
キヨスクはリーチで目の前で閉まった
バンクーバー、ほんとにほんとにわたしゃ知らんフューチャー
異なるカルチャーそれでもそれでもアイラブユーを伝える相手はただただあなた
此方と彼方
そなたとかなた
アナタとカナダ
ちなみにホストマザーのname is Aida
彼方のカナダとあなたの華奢な
心にコミット終わらぬリリック
尽きたぜギミックまいっちんぐ

次回は真面目
理解は易しめ
時差ボケ症状案外悪め
だから勘弁see you後免

♯42サボリ魔ダイジェストの一週間

他案
・ダイジェスト魔一週間のサボリ
・一週間のサボリダイジェスト魔
・魔のダイジェストサボリ一週間


①魔の金曜日『サボリ、卒業などをする』

セブはとってもよいところじゃった。みなさん優しいし女はホット。止まらぬ問わず語り。ポリシー。セクシー。また美学。ラム。唾。ウィスキー。唾。トイレ。便座のない便器。消化物と再会のち日本と再会。「真の極寒は赤道にあり」とは私の至言。屋内は寒いから気をつけるべし。理解できぬものを理解できぬものでの説明。以上より、文法書は必須である。卒業証書はブルーノ・マーズと共に。「夜道は歩くな」「歩くな歩くな」差別すんな。「You're famous」「Do you want to hear my 」「See you never」

悲しみの、See you never!!!!



②ダイジェストの月曜日『髪を切る』

ゲイっぽくなる。「I'm gay haha」ワックスをつけてくれるのはよいが再現できない感じにしないでほしい。



③ 一週間の火曜日『歯科に行く』

えー、この度めでたく!虫歯がですね、みt…虫歯をですね。えー、むっshムッシュ。えー、禁句ぅ~。虫歯菌をですね。が発見されたということでですね。輸出。奥歯と共に輸出。カナダに輸出。さらば日本の虫歯。



④その他事項

ベンジャミン・バトン 数奇な人生』観賞。フォレストガンプの二番煎じとの感想。獲得と喪失。永遠とは何かの味わいを感じたが、一方でベンジャミン・バトンの境遇でなくてもそれは当てはまることであるので、あえて彼の人生を数奇だとは思いづらい。所々に聞こえるスコット・ジョプリンがうれしい。
『愛さえあれば』観賞。たびたび並々ならぬ因縁を感じる一作を半年越しについに視聴。語られない部分に不可解が残るものの、イタリアの風光明媚と一つ一つのシーンの美しさは素晴らしい。主役の女優が物語と共に魅力を増していくというのも不思議な映画体験。
ランボー 最後の戦場』観賞。ほぼ四回目。ひたすらにかっこいいスタローンをただアドレナリンを持て余しながら見るアクションムービー。傭兵の一人がファッキンファッキン言ってる癖に仲間割れの時に頼れるリーダーシップを取っているところがかっこいい。ミャンマーを悪く書きすぎ。
『it それが見えたら終わり。』観賞。それが見えてる人も特に終わってなかったところが印象的。初の海外映画館。飛び交う予測の声。怖いシーンで出てくるか出てこないかのところで「シット…」って聞こえてきたの笑えた。
『電氣ホテル』読了。だれもしらないなぞのげきだんの頭脳を探るべく。シュールな展開にシュールな文体。体言止めの圧倒的魅力、それすなわち天才的リズム。『優雅で感傷的な日本野球』と『電氣ホテル』は停電クラブを語るには必読の書であるとの理解。

♯41 暇エクストリームここに至れり

少年期の僕はつくづく暇を極めていた。少年期の僕のライフワークは、絵を描くことだったのである。しかし思うに僕は絵が上手ではない。余談だがその事を知ったのは小学校低学年であった。僕が描いた渾身の蛸を家族の誰一人蛸だと気づかなかったのである。あの日。そうあの日、僕は気付いた。そしてそれから今に至るまで僕は気付き続けている。

閑話休題。つまり僕が言いたいことは、全く上手でもないことを知りつつも。生産性も将来性もないことを知りつつも。まっさらな自由帳を文房具屋で見るたびワクワクしたり、鉛筆をむやみやたらに削りまくったりして絵を描いていた僕はどこまでも暇だったのであろうということである。そんなことを今日突如思い出したので、その片鱗をここに記す。

さて、僕が好んで描いたもの。それはへのへのもへじである。僕は昔からへのへのもへじに心を奪われてきた。なんといってもその過不足の無い合理性に見せかけた遊び心の多さに心惹かれる。そして、そのチャーミングさ。語感の良さ。何を考えているのかが全く読み取れない神秘さ。なんと均整のとれたイラストであろうか。最初こそ「も」の2画目と3画目の必要性を吟味したり、「じ」の濁点の意味を計りかねていた僕であるが、早い話、そんなことは全くもってどうでもよかった。納得できない人は勝手に「へのへのしへし」などという合理性の生んだ化け物を描いておけばよい。

へのへのもへじの偉大さのひとつに、鉛筆の力の入れ具合、滑らせ具合で無数に異なる人相を作り出すことが出来ることである。気になる人は今すぐ教科書の余白に10個ほどへのへのもへじを書いてみてほしい。全体的に薄ければ何となく存在感の薄い感じになるし、消しても跡が残るくらいの筆圧で描くへのへのもへじはなんとなく威圧的である。また「の」の目玉の部分をやたら左に寄せて描くと性格の悪そうな感じになるし、「じ」のあごの部分を大きくするとやたらごつくなる。そして「も」を強調すると何となく手塚治虫を彷彿とさせる。まさに楽しみ方は無限大。最初に考案した先人には尊崇と感謝の念を。

参考画像【オーソドックスなへのへのもへじ



と、言いつつも当時の僕は今にも増して自信家であった。他の人に出来るなら自分に出来ない訳がないと信じていたのである。よって次に僕が取りかかったことはこれである。

へのへのもへじに取って変わる顔を発見できないだろうか』

なんという傲慢であろう。へのへのもへじとは既に何千何万という人類が綿々と受け継ぎ淘汰を受けてきた、いわば「象徴的落書きの偶像」であり、本来これを越えることは出来ないはずである。しかしそんなことは露とも介さず僕は探し求めた。日夜「目」として適切なひらがなは何か、へのへのもへじが表現できていない顔のファクターは何であるのか、それらを求めて汚い教科書を積み続けた。そしてついに、一つの傑作に出会うこととなったのである。それが『ここへじん』である。


参考画像【ここへじん】


説明させてほしい。まず、「こ」の1画目最後の粘りによって瞳を描ききるという少々の荒業にして天才のそれ。これによってここへじんは気さくな陽キャラとなり得たのである。そして次に「じ」の濁点を鼻の穴にするという、悪魔的転回。この発想により、たとえどんな目を持つイラストであっても、鼻と口は安定した型を保持することが可能となった。そして極め付きは最後。「ん」の最初の部分を用いることで抽象的に、しかし確実に髪の毛を表現しきり、かつ自由度の高い「ん」の後半で輪郭を描くことを可能とした。なんという発明であろう。当時真剣にここへじんで著作権を取ろうとしたことも頷ける傑作である。今はフリー素材となっているので、暇を持て余すヒマっぴヒマちゃん諸賢はシャーペンを分解するくらいなら、自分なりのここへじんを各自探求してみてほしい。自信を持っておすすめする一品だ。


参考画像【ささくれ】

こちらはここへじんほどの手応えはなかったものの、そのハイカラな雰囲気が私の胸を強く打ったのである。この、男とも女とも言えぬアンニュイな空気感、透明感。あえて口を表現しないことで無限の想像を掻き立てている。一目見て、思いつきで考えたと思わせつつ「さ」の1画目をまゆ毛にしていることや、一見この類いのイラストを描く際に利用価値無しと見なされる「れ」の、よく分からない部分を、よく分からないまま、しかし確実に古墳時代の日本人の髪型っぽく見せているのである。『ささくれ』名前ありきで考えたのか偶然なったのかは今となっては風の中と言うほかない。

今日突発的に思い出して描けたのはここへじんとささくれだけであったが、僕の記憶によると僕はこの調子で30人の一クラスを結成し、四コママンガ調で日常風景を描いていこうとしていた。なので他にも28種類ほど考えていたはずなのだが、思い出せない。確か、ここへじんの双子の弟で「へじん」の部分は同じというヤツが二、三人いた気がするが。闇の深い小・中学校の書類を漁ってまでは確かめない。

なんていうか、暇だったのである。