隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯40 死にかけのごきぶり

閑静な我が寮の心地よさを奪ったのは暴風雨でもテロリズムでもありませんでした。あいつが出たのです。あいつが。そう、ピー子です\違います/そう、ごきぶりです。やつはベッドにほど近い壁を俊敏に動き回りました。やつのその重力をもろともせぬ身体能力は、横たわり睡眠する他ない我々人類を恐怖に陥れました。我々は想像しました。重力に抗えるやつはいずれ我々の体を這い登り、我々のくちびるから水分補給をするに違いないと。

『やるしかない。ここでやるしかない。』

韓国人のプディンはそう思った。それが私には聞こえました。耳で聞きました。そんなことはあり得ない。しかし私は聞いたのです。心で聴いたのです。あらゆる言語を超越した曖昧な事象そのもの、本質。

『これがイデアか!』

私の頬はつい綻びました。日本を飛び出し3週間。ついに我々は言語の壁さえ越えて以心伝心にその意思を確かめ合うことに成功したのです。以降このごきぶりのことはプラちゃんと呼ぶことにします。さて、プラちゃんを前に一致団結するのはアジアで最も近く、最も遠い国と言われる戦士一同。ああ。この調子で世界から戦争が消えないものか。

ごきぶりの撲滅を目指す諸国。殺虫剤開発競争にしのぎを削る欧米諸国に、批判が集まる。殺虫剤の抑止力。世界から、かの国はごきぶり殺虫剤開発を可及的速やかに中止するよう圧力がかかる。

『我々は無慈悲にごきぶりを永遠にこの地球上から消滅させる事もいとわない』

一見するに物騒な物言いに5秒間全世界は誤って憤慨。6秒目咀嚼「願ったりじゃね」7秒目団結。こうして全世界は結託しごきぶり撲滅に邁進。結果、民族紛争は終息。経済不況は「ごきぶり景気」により活況。人への怒りはごきぶりへの憎しみに変換。やがてごきぶりは絶滅。世界平和。

ごきぶりの絶滅と引き換えに世界は平和。しかし一体誰がごきぶりに敬意を払うのでしょう。人間に嫌悪される外見であるが故に歴史から退場させられる破目になるごきぶり。物言わぬ彼らは一匹一匹精いっぱい今日の生きる糧を求めて生きていただけ。

『人は外見じゃないよ』

ごきぶりは悲しそうに世を憂いて消えていくのでした。

プラちゃんも頑張りました。必死に暗闇をかさこそかさこそ。見つかったら暴行殴打の雨嵐。それでも人のあるところに生きる糧あり。生きとし生けるもの本来は冒険せねば生き続けることは出来ないのです。でもダメでした。人間の叫び声が聞こえます。

『cockroach!』

人間は団結しました。プラちゃんを殴打する武器を調達しに行く人間。プラちゃんを見失わないように見張っている人間。プラちゃんの逃げ道を塞ぐ人間。言葉を発さず、目さえ合わせないのに人間は、状況把握から自らの役割から全てを察知するのです。なんと合理的な思考回路を持つ生物なのでしょうか人間は!こうしてプラちゃんもじきに部屋に連れ出された後、残酷な殴打を受け食糧を求める蟻の芝生へ打ち捨てられました。プラちゃんが最期に聞いたのは、部屋から聞こえてくる世界平和でした。

誤解され続けるごきぶり。ごきぶりを前に勝ち得た世界平和もいずれは消えていくでしょう。ごきぶりだっていなくなるときはいなくなるのです。やがて我々はまた第二第三のごきぶりを見出だしては袋叩きにして滅ぼすでしょう。第二第三のごきぶりを滅ぼすために最善の兵器を造り上げ、また抑止力るのでしょう。ならば聞かせてほしいのです。核兵器は一体第何番目のごきぶり用?

あの世のごきぶりプラちゃんは、死にかけのごきぶりを見て少し安堵したようです。あれに巻き込まれるくらいならば、一握りの示唆を与えて絶滅してしまったことは正しかったのではないかと。犠牲は惨め。いやそんなことはありませんでした。この自己犠牲は美しい。この自己犠牲は良かった。少なくとも死にかけで苦しむよりかは。どぶねずみみたいに美しくなることを目指している人は、ぜひごきぶりになるという進路も視野にいれて考えてほしい。何より大事なこの美学。嫌悪、誤解、真実。

♯39 『ウソをつく』コツは『ウソをつかない』ことなんじゃないかって話

日常生活に欠かせないウソ。美味しくない料理。似合っていない服。見栄を張りたい心。サボりたい気持ち。あらゆる事象があなたにウソをつくべし、とささやいてくる。素直なことはそれは素晴らしい。といいつつ素直だと思ってるあいつだってきっと何百回とウソをついてここまで生きてきてる。ともかく、病的な例は除くとしても、ウソをつく能力というのは時に人生を順調にしてくれる。英語にも「white lie」って概念があるわけですし。

御託はいいとして、僕が最近思うのはこれです。

【ウソがバレるのはウソをついている人にその自覚があるから】


朝起きた。眠い。休みたい。仮病使ったれ。

『おかん、今日ちょっと風邪気味やから休むわ。コホンコホンゲホッ』

『あらあんた。昨日の夜は元気やったやん。熱測ってみい』

ピピピ

『(36度5分…)37度5分やー』

『あらあ熱あるねえ。でもあんたその割にさっきからちょっと元気ちゃう?学校行き。』


僕が思うにこの仮病を失敗した原因はひとえにただ一つ。『本当は元気だったこと』である。だから行動の一つ一つに隠しきれない元気オーラの微粒子が含まれ、それとあいまって何とも歯切れの悪い問答になってしまう。ならば話は簡単である。これを解消するにはどうすればよいのか。原因が分かれば対策は容易である。本当に風邪になってしまえばよい。言うなれば、

【ウソをついていなければウソはバレない】

なんて簡単なのだ。ウソをつくとは。本当のことを言っているのだからバレるはずがない。ていうかバレるって何がだよ。何も無いよ。ウソをついている自覚もない。本当だから。一つ一つの行動には拭いきれぬ「本当に風邪」の微粒子が含まれ、何を聞かれても想像でなく記憶で話すので目の動きとか手の動きとか、そういうつまらん心理学によっても看破されぬ。まさに完全犯罪。

ところがどっこい風邪はなりたいと思ってなれるものではない。完。ところがウソの理想形を想像し得た我々にはもう怖いものはない。ここで重要なキーワードは『誇張』である。

朝起きた。眠い。休みたい。仮病使ったれ。あ、そういや昨日の夜ゲームしすぎていまちょっと頭痛いな。あれ使ったれ。

『おかん、今日ちょっと風邪気味で頭痛いから休むわ。』

『あらあんた、昨日の夜は元気やったやん。熱測ってみい。』

ピピピ

『36度5分やー』

『あら平熱やん。学校いけるわ。行き。』

『いやでも昨日の夜からめっちゃ頭痛いねん。』

『どんな風に痛いん』

『なんかガンガンする。』

『昨日のいつからや』

『10時くらい。なんか頭痛止めあったっけ』

『おじいちゃんの部屋のクローゼットん中入ってるわ。』

『おっけー。』


この場合も、風邪をひいたいうことは自覚のあるウソにしろ、頭痛という一部分では本当である。それによって、いつから、どんなという、ウソであれば高度な想像が必要とされる瞬間でも一瞬で対応することが出来る。事実を述べるだけだから。結果その一部分の信用に引っ張られ、風邪というところさえも自然と相手に本当であることを強調できるのである。なんという戦略的勝利。なんというクズ。

【一部分でも本当であればおのずと全体のウソも疑われにくい】

誇張である。『本当はやってもいないパーティに10人来た』というより『本当は5人しか来てないパーティに10人来た』という方がバレにくい。

この巧妙さを駆使すれば、基本的にどんなウソにも真実を交えることが可能だ。

『(うわ、この人この服似合ってない。でも色はそんなに間違ってない、むしろ合っている)似合ってますね!』

『(うわ、このナポリタンしょっぱ。でもパスタのゆで具合はちょうどいいな。)めっちゃおいしい!』

『(ここでぶちギレなきゃいけないのか。そういやこないだ隣の家の音楽うるさくて寝れんくてめちゃムカついたな)くそが。しね!!!!』


悲しいかな。人が興味あるのは本当のことだけ。だから本当のことを言おう。やろう。

ウソはついてなければ、バレない。

♯38 難しき哉。いんぐりっしゅ

いや、マジで。そうなんすわ。ええ。いやそらすまんかったって。堪忍してえな。

ワシかてこんな話されへんもんやと思てなかったんやって。だって単語をそんな知らんがな。ほな試しに聞かせてもらいますけど「片側三車線」って何て言ったらいいのん?「是非お願いします」ってどういえばええのん?「ロミオとジュリエットとかはやらない演劇サークルで、ロミオとジュリエットをやるお芝居をしてその中で留年クズ風俗通いの大学生の役をやりました」って何?逆に聞くけどこれ日本語以外で表現できんのん?日本語でも意味分からん。

ほんで、もっとハキハキ喋ってーなネイティブ!こちとら音じゃ聞き分けられへんゆーて、最近くちびるの動き見るようなったわ!せやのになんでくちびるも動かさへんねん!軽く詰んでるやん。せやのに、せやのに見えへん世界から呼んでくんなよ!ほんまワシ読唇術身に付けるために来とんちゃうで勘弁してや。ごっつきついわホンマ。でもこんなワシでも完璧になった言葉があるで。何かわかるか?

「表現の仕方が分からないのでこれで終わります」
【I cannot express my feeling so that's all.】


むっちゃ使えんで。唯一の悔し紛れや。ホンマはあんねんで?ホンマはごっつ立派な意見と考えもってんねんで?でも表現できんから今回はこの辺で済ましといたるわ。っていう文章も咄嗟に言えへんからその気持ちをぜんぶ呑み込んでこの一文や。いまワシが何を思ってるか分かるか?分からんやろなあ。ギブゆーて早すぎるわ!もっと考えな。あかんか?わからんか?知らんか?知っとけや。これや知っとかんかい。っていうのはな、これから日本で留学生会ったらもっと優しくしたろって思た。あいつら絶対もっと言いたいことあるねん。誤解されないようにもっと言葉選びたいねん。俺らが面白がってること一緒になって笑いたいねん。おもろいこと言ってみんな笑かせたいねん。やけど出来へんねん。しゃーないからただ笑ってたり真面目なふりして乗りきっとんねん。そんな簡単な想像も気遣いも出来へんで何が役者やねん。偉そうに日本語でふんぞり返ってるんちゃうぞハゲが。す巻きにしたろか!

ほんでつらいやろ。日本語しゃべられへんのつらいやろ。そういうときはな。敗者の姿を見んねん。同じ国同士でずっとしゃべっとるやつや。まあ俺もブログ書いたり日本語の本読んだり逃げとるけどな。早い話、挫折したなったら海外来たらええと思たわ。あの偉そうな兄ちゃんも来たらええ。あのいけすかねえ秀才も来たらええ。あの人見知りのセンス野郎も来たらええ。自信家の人気者気取りも来たらええ。みんな来たらええ。みんな来たらええわ。

なんかけったいな体裁のブログなったけど、あかんのは肝心のワシもしょうみこの文章で何を伝えたかったんが分かってへんことや。悶々としとんねんけど、ピッタリな言葉が見つからへん。てかどうでもええけど大阪弁の強みって手数やな。やっぱ他の言葉と手数がちゃうわ。って誰や話そらすなアホタレ、ボケ!

分からん。みんなこっち見てる。なんか理解可能な言語を放つの待ってる。やめてや。次こいつなにしゃべんねやろみたいな期待のまなざしやめ。おもろいやつがつねおもろいわけちゃうし、元気なやつがつね元気なわけちゃうし、お前の好きなやつがつねお前の好きなやつってわけちゃうねんぞ。ほんなら言うで?言うで。右からやって来たやつ左へ受け流しちゃうで。

「表現の仕方が分からないのでこれで終わります」
【I cannot express my feeling so that's all.】



ハイ出た!

ほなまたな!ばいびー

♯37 例えば友達四人で歩いているときに先頭を歩く人と歩かない人

人の性質の分け方は数あれど、僕はひとつこの物差しを持っている。

例えば友達四人で歩いているときに先頭を歩く人と歩かない人

正確に言うと歩ける人と歩けない人、かもしれない。数人で歩いているときの身の振り方には人柄がよく現れていると思う。誤解を招かぬよう状況を設定する。進む方向が四人の中に確実なコンセンサスとして取られていない。また、お話ししたいから一時的に場所が入れ替わっているというようなタイミングは除外する。


タイプ①【俯瞰的思考を挟まず直感で先頭を歩ける人】

このタイプを僕は心から尊敬している。自分の歩く方向に自信を持って先頭に躍り出ている。その時の気持ちは、他の三人にどこか行きたい方向があるなら言うだろう(言え)とか、単にその人が行きたい方向に行ってるだけ、とか様々なものがある。どちらにせよ、自分がある。少し粗はあれど満足いく選択をこれまでもこれからもしていけるポテンシャルがある。もしもの時良くも悪くも最も頼りになる。

タイプ②【俯瞰的思考を挟まず二番目辺りを歩く人】

これが厄介である。自らの思考では一切方向を決定していないにも関わらず、その自覚がない。つまり、自分も決定している一人であると思っている。先頭の人の横ないしはやや斜め後ろを歩く。仲間外れになりたくない、なるべく輪の中心にいたいが方向は決定できない。そんな人がここに落ち着く。もしもの際最も役に立たない。

タイプ③【俯瞰的思考を挟まずそれ以外のところを歩く人】

協調性を重んじる。基本的にどの方向に行くかは先頭辺りのバチバチの人に任せる。またよほど非論理的でない方向でなければ合わせる。四人で歩くことの楽しさは全てこの人にかかっている。このタイプの中でも、どの方向にいくか迷った際意見を言う人と言わない人がいる。

タイプ④【俯瞰的思考を挟まず道すがらで寄り道していく人】

天然の愛され屋さんである。このタイプはその人が原因でよく進行を止める。ところが許される。良くも悪くも素直なので最後には信頼される。『トイレ行きたい』と無垢に言い出すのも大抵このタイプである。

タイプ⑤【俯瞰的思考の結果先頭を歩く人】

肩で風切り堂々と歩きながらも絶えず振り返る。何故か。気づいたら後ろに誰も付いてきていないことが怖いからである。大層な自信家ではあるが、このタイプの自信は大抵ハッタリである(あるいは自信を持てるだけの何かを必死に抱きしめている)。自分の決定する方向が受け入れられるか不安で仕方ない。しかし追従はしたくない。小ずるく立ち回る結果一定の評価は得るが、靴紐を結ぶとき誰も待ってくれない。

タイプ⑥【俯瞰的思考の結果先頭以外を歩く人】

養殖型タイプ③・④である。その俯瞰的思考の隠蔽に長けていればいるほど(このタイプとして名乗り出てくる以上基本的に上手い)プライドが高く、個性を出したい。タイプ⑤よりプライドが高いことが認識されづらい。その不規則な行動が柔軟な思考と日々を楽しんでいる感じを醸し出す。一方自分が不得手な分野に挑戦することはない。


賛否こもごもにしろ、ある程度の実用性を感じる。最後のタイプとして、こういう分類を日々考えているような人は、顔がズルい。人の顔色をうかがっておきながらそのうかがっていた人を平気で見下す。このタイプを極めると、方向を決定する際、傍観者を決め込み意見を何ら発信しない割に、全てが終わってから無責任に批判する。


しかし、なんでもいいのではないか。


みんなちがって、みんないい


人の勝手だ。

♯36 色んな夜

おもえば色んな夜が、あったなあ

当たり前のようにあんしんしてねた夜
悔しくてねむれなかった夜
今日一日のことを復習していた夜
夜通しおさけを飲んでいた夜
うたいつづけた夜
ピアノひきつづけた夜
おどるれんしゅうしていた夜
あるきつづけた夜
自転車こいでいた夜
山にのぼっていた夜
しっとにまみれた夜
明日あいつはぶんなぐろうときめた夜
熱にうなされた夜
暴言ひとりでさけんでいた夜
ドアのすきまが気になった夜
パンツを池になげこんだ夜
たぬきねいりでごまかした夜
雪にうもれた夜
床のかたさがうっとうしかった夜
あなたが誰かとひとつになった夜
なにもないふりをした夜
他のやつをだしぬいたとおもった夜
完勝をかくしんした夜
恥ずかしいおもいででしにたくなった夜
よくわからん三人で家主がいないいえに泊まった夜
さむい五月の軽井沢の夜
しずかな霧降高原の夜
筑波のなつかしい夜
高山のふぜいな夜
足利のあたたかい夜
新大久保のはらたった夜
一関のうるさい夜
十和田のきょうふの夜
風のつよい竜飛岬の夜
駐禁とられてた夜
倉敷のわくわくの夜
疲れてすぐねた夜
ぜんぶどうにかなる気がした夜
なにもできない気がした夜
あさがまち遠しかった夜
あさがきてほしくなかった夜
おわってほしくなかった夜
とじこめられてしまいたかった夜
世界からぼくら以外がきえた夜
そして韓国人がえいごではなしかけてくる夜

夜が人を成長させると思う
「どんな人生を歩んできたか」は
「どんな夜を過ごしてきたか」なのである
どの夜も僕に流れてる
僕を大きくしてくれる
こんな愉快な夜たち
誰もきっと敵わない
楽しい夜
色んな夜

♯35 問はず語らず

数年前にどこかで聞いた言葉をずっと心の片隅に置いている。

「汝の過去はその現在にて知らるべし」

不思議なもので、いつまでも覚えている言葉というのはガラスケースに飾られて大事に渡されるようなものではないことが多い。むしろ一瞬の会話で吐き捨てられたようなものであったり、大事な言葉を言った風な人の放つ次の言葉であったりする。これもそのうちのひとつ。

ツイッターフェイスブックにブログに、みんな自分の気持ちと状況を聞かれてもないのに世界に発信している。誤解をされないため、解くためだろうか。虚勢を張るためであろうか。元気にやってますの報告だろうか。

「あの時はこうだったけど誤解しないで、今はこうなってるから」
「みんな僕を見くびってるけど僕はこんなに豊かな世界観をもっているんだからな」
「アタシの毎日はこんなに充実してるっぺよ」
「争いを俯瞰的に分析している私」
「その俯瞰的な人をさらに分析しているボクチン」

すごいなあ、あいつの毎日は。俺とは大違いだ。で、会って話してたらどうも違う。そんなに充実して本を読んで面白おかしい日々を送ってる人間なのにどうしてそうしょうもないのだろう。なんて思ったり。当然僕も見栄をはって生きているわけだからそう思われる瞬間はいつでもあるだろうけれど。でもこの言葉を知っている時点で少し頭は抜けている。なんて。

結局、現在の自分が全てなのではないかと思う。本当に素晴らしい人間なら回り回って現在そんなにすごくなくても何かは滲み出ているのではないか。その逆もしかり。過去の武勇伝をいかに滔々と語られたところで、現在がそれに釣り合っていなければ、そんなお話に一体何の意味があるだろう。それにショーンKの例もある。思った以上にこの世界には大ホラ吹きが溢れている。思った以上にウソつきは身近にいる。気がする。

口下手であったり、人見知りであったり人の性質は様々で、人を見る目を鍛えることは難しい。だから僕はせめて人に見出だされたい。人を見る目の肥えている人に「こいつは久々に本物だ」と思われるような人間でありたい。どこかの分野においてはで良いけれど。だから筆を置こう。問われてないから語らない。何も言わず実績を重ねよう。「The records show!」なんて言葉を吐いて死んでいけるようにエルビス・プレスリーのように。

♯34 CK泥棒事件とコックロッチonベッド等の雑記

謎に包まれた事態である。僕のいる学校では最近、カルバン・クラインのパンティーだけが盗まれる事件が続発している。僕はカルバン・クラインを持っていないので事なきを得ているが、この学校で一体何が起きているのだろうか。

最初は愉快犯か変態かと思われたが、この盗難が1ヵ月ほど続いていること、カルバン・クラインだけが盗まれていることから思うに、転売目的なのではないかと噂されている。それにしてもどれも使用済み。付加価値はどうなっているのだろう。すでに三人部屋の僕のルームメイトも二人ともパンティーを取られており、常々

「There is very hentai in this school…」

と嘆いている。シリアスな顔でそんなこと言われてもシュールである。しかし笑っちゃったら疑われそうである。あとパンティーって言ってるところ。「I am sad I lost my パンティー」て。

あとどうでもいいが、現地の先生が虫が嫌いで殺虫剤を振り撒いてる女子のことを「very dangerous girl…」と呟いていた。英語には面白みが一杯である。

セブは物価も安いしとてもいいところなので留学にはうってつけである。だがコックロッチがベッドに這ってることや、気づくと体に蟻が上陸していることなどを意に介さないメンタリティのない人はやめることを強くすすめたい。そう感じるエブリデイである。

しかしこれを知ってるのと知ってないの差は大きいな。来てよかった。



日本語力の退化との戦いに次のブログこそは勝利したいものである。