隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯56 まつりのあと

お祭りのあとってどうしてあんなにむなしいんだろう。始まる前はあんなにきれいで盛り上がった装飾が急に所在無げになる。着ている服もなんだか、気持ちと釣り合わなくなって不格好になる。忙殺された書類の束が思い出の品に見え始める。かといってそれらが全部取り除かれ始めて、普段の景色に戻っていくのを見ると全力で止めたくなる。でも僕は知っている。片付けを渋って翌日まで持ち越されたお祭りは悲惨なものになるということ。

かつて賑わっていた場所が今は閑散としている時にも同じような気持ちになる。休み時間の始まりと共に教室を飛び出してドッジボールの陣地を他のクラスに奪われないようにしていた小学校の校庭。夕方に見たら何だか切ない気持ちになる。

実家もそうだと思う。毎日当たり前のように五人揃って囲んでいた食卓はいつの間にか二人減って、今は僕もいない。父も単身赴任で高知だから母は今は一人で食卓に座っている。半年に一度くらい一同に介すけど、それはもはや住んでるんじゃなくて滞在しているという表現が正しい。たまに想像するのは、この食卓はいつかはお皿が並ばなくなって、囲む人がいなくなって、上に蜘蛛の巣が張って、ほこりをかぶる情景。おまつりのあと。

イライラするのは、お祭りはずっと続くはずがないという論理的真実である。楽しいことをするには苦しいことが、好きなものを抱きしめ続けるには嫌いなものと向き合わなければならない。夢はずっと続くと現実になってしまう。だから自分で夢を断ち切るタイミングを作らなければならない。自分で断ち切らなければならない。他人に断ち切らせてはいけない。お祭りのあとは、次のお祭りを求めることが健全だ。ぽっかり空いた隙間をまたお祭りで埋めなきゃならない。言うなればお祭り中毒だ。

探さないといけない。次のお祭りを。だけど少しくらい執着してもいいよね。万国旗を倉庫にしまいに行く道すがらとか。