隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯21 ザコい正義の記憶

中学二年の時、友人がリンチされそうになりました。

いやあ怖かった。そもそも僕が入っていた卓球部というのはなかなかに壮絶な部活動で、三日に一回くらいはヤンキーが遊びに来る感じで、それをどうやって対処するかが目下の課題でありました。基本的には飽きるまで接待卓球の相手をして4~5個ピン球を持ってお帰りいただくというのが基本のパターンで、翌日に一階男子トイレでピン球の燃えた後が発見されるというところまでがセットでした(ピン球は燃やすと楽しいらしい)。その頃僕は身長も力もザコいのに口先だけが達者なやつで、それでもさすがに強面に胸ぐらを掴まれると膝を震わす以外出来ることがありません。

振り返るに最もつらい時期だった。もう女子になってしまいたかった。殴られないから。まあ結局僕は最終的に、ヤバいやつらも笑わせて喜ばせておけばとりあえず無害であることを発見し、そのポジションに収まることになりました。

そういえば中学の時は女子としゃべるとすぐ「たらし」と言われた。ていうかそもそも恥ずかしくて女子と喋れないし、困ったことがあっても男子内の問題に女子を頼るということは男のプライドが許してはいけないみたいな風潮でした(なんてもったいないことを)。男子は男らしい感性と趣味を持って、かっこよくあろうとしなければならないみたいな時代錯誤の認識を刷り込まれたのも多分この頃でしょう。廊下で組み伏せられている横を女子に通られるときの惨めさったらない。なのにどうして今は、そういうことがない現状の幸せを噛み締めることを忘れてしまっているのだろう。

話が逸れた。で、ある日部活が終わったあと友人が先輩に呼び出された。この友人というのが、中学時代最も仲良くした人で、何故か部活一緒のところ入ろうみたいな、今からすると吐き気がするような約束を交わしていた仲でした。思うにその人はどこかクールな雰囲気があったので、それをけちょんけちょんにしてやろうみたいな思惑があったのでしょう。

さて部活が終わり、こいつ以外みんな帰れとなりました。僕らとしてはなんとか彼を「一緒に帰ろうぜ~」と気楽に言ってその場から誘い出そうとしますがついに荷物を持って外に出さされてしまいます。

「どうしたらええねや」
「先生呼びに行った方がええんちゃうか」
「でもあっこ鍵閉められてもうたで」
「やっぱ俺らもっかい行った方がええんちゃうか」
「いやそれは」

結局のところ皆怖かった。正直自分がターゲットじゃなくて良かったと皆思っていた。で、確かその時、部長が掃除道具入れからほうきを取り出すのを見ました。詳しいいきさつは忘れましたが確かその時彼はこんなことを言いました。

「みんなリーチが長いもん持とう」

いやマジかよ、と。そりゃほうき持ってたら有利ではあるけども、向こうに掴まれて奪われたらヤバいしいくら向こうが悪くても目とか当たったらヤバいでしょ。てかそもそも卓球場は中から鍵が閉められている。あ、でも確かそれについては「ほうきでガラスを割ろう」という結論になりました。なにより僕はここでじっとする以外何も思い浮かんでいなかったので、その時部長が同期なのにすごくかっこよく見えたのを覚えています。

そして各々が好みのほうきを手に、いつ行くかというチキンレースが始まりました。これに至ってはさすがの部長も「用意しとけよ」と言うばっかりで先陣をきれません。そんなこんなで時間が経って…。

で、申し訳ないのですがここまで書いてきて、そこから先の事を覚えていないことに気づきました。次に思い出せるのは泣きながら職員室に駆け込んで先生を呼んだところです。でも確かほうきで戦った記憶はないのですが、どうなったんでしょうか。

まあ結局僕らは、自分達の力で友達を助けることが出来なかった。その日色々あった後みんなで下校するとき、何もなかったように彼に話しかける自分に、正義を果たした感を感じていい気分がした。そして同時に失望した。

一つ、中学時代を終えて知ったのは、溺れている人を助けられるのは、船に乗っている人なんだということでした。自分も溺れてたんじゃ溺れている人は助けられない。横で溺れている人を助けたいと思ったなら、まずは、不格好でも、人を出し抜いてでも船に乗ることです。そうじゃないと、どれだけ崇高な正義感も自己満足になってしまう。


僕はその時の事を考えるたび、自分に昔から染み付くへたれと自己満足の正義感に辟易とさせられて、自分がそもそも底知れぬザコであることを痛感する。高校で合気道部に入ったのも、人を笑わすことに執着したのも、その禍根を幾らかでも克服しようとしたからかもしれません。


そんな僕をただのクズにしたというのだから、大学という場所は恐ろしいですね。