隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯37 例えば友達四人で歩いているときに先頭を歩く人と歩かない人

人の性質の分け方は数あれど、僕はひとつこの物差しを持っている。

例えば友達四人で歩いているときに先頭を歩く人と歩かない人

正確に言うと歩ける人と歩けない人、かもしれない。数人で歩いているときの身の振り方には人柄がよく現れていると思う。誤解を招かぬよう状況を設定する。進む方向が四人の中に確実なコンセンサスとして取られていない。また、お話ししたいから一時的に場所が入れ替わっているというようなタイミングは除外する。


タイプ①【俯瞰的思考を挟まず直感で先頭を歩ける人】

このタイプを僕は心から尊敬している。自分の歩く方向に自信を持って先頭に躍り出ている。その時の気持ちは、他の三人にどこか行きたい方向があるなら言うだろう(言え)とか、単にその人が行きたい方向に行ってるだけ、とか様々なものがある。どちらにせよ、自分がある。少し粗はあれど満足いく選択をこれまでもこれからもしていけるポテンシャルがある。もしもの時良くも悪くも最も頼りになる。

タイプ②【俯瞰的思考を挟まず二番目辺りを歩く人】

これが厄介である。自らの思考では一切方向を決定していないにも関わらず、その自覚がない。つまり、自分も決定している一人であると思っている。先頭の人の横ないしはやや斜め後ろを歩く。仲間外れになりたくない、なるべく輪の中心にいたいが方向は決定できない。そんな人がここに落ち着く。もしもの際最も役に立たない。

タイプ③【俯瞰的思考を挟まずそれ以外のところを歩く人】

協調性を重んじる。基本的にどの方向に行くかは先頭辺りのバチバチの人に任せる。またよほど非論理的でない方向でなければ合わせる。四人で歩くことの楽しさは全てこの人にかかっている。このタイプの中でも、どの方向にいくか迷った際意見を言う人と言わない人がいる。

タイプ④【俯瞰的思考を挟まず道すがらで寄り道していく人】

天然の愛され屋さんである。このタイプはその人が原因でよく進行を止める。ところが許される。良くも悪くも素直なので最後には信頼される。『トイレ行きたい』と無垢に言い出すのも大抵このタイプである。

タイプ⑤【俯瞰的思考の結果先頭を歩く人】

肩で風切り堂々と歩きながらも絶えず振り返る。何故か。気づいたら後ろに誰も付いてきていないことが怖いからである。大層な自信家ではあるが、このタイプの自信は大抵ハッタリである(あるいは自信を持てるだけの何かを必死に抱きしめている)。自分の決定する方向が受け入れられるか不安で仕方ない。しかし追従はしたくない。小ずるく立ち回る結果一定の評価は得るが、靴紐を結ぶとき誰も待ってくれない。

タイプ⑥【俯瞰的思考の結果先頭以外を歩く人】

養殖型タイプ③・④である。その俯瞰的思考の隠蔽に長けていればいるほど(このタイプとして名乗り出てくる以上基本的に上手い)プライドが高く、個性を出したい。タイプ⑤よりプライドが高いことが認識されづらい。その不規則な行動が柔軟な思考と日々を楽しんでいる感じを醸し出す。一方自分が不得手な分野に挑戦することはない。


賛否こもごもにしろ、ある程度の実用性を感じる。最後のタイプとして、こういう分類を日々考えているような人は、顔がズルい。人の顔色をうかがっておきながらそのうかがっていた人を平気で見下す。このタイプを極めると、方向を決定する際、傍観者を決め込み意見を何ら発信しない割に、全てが終わってから無責任に批判する。


しかし、なんでもいいのではないか。


みんなちがって、みんないい


人の勝手だ。

♯36 色んな夜

おもえば色んな夜が、あったなあ

当たり前のようにあんしんしてねた夜
悔しくてねむれなかった夜
今日一日のことを復習していた夜
夜通しおさけを飲んでいた夜
うたいつづけた夜
ピアノひきつづけた夜
おどるれんしゅうしていた夜
あるきつづけた夜
自転車こいでいた夜
山にのぼっていた夜
しっとにまみれた夜
明日あいつはぶんなぐろうときめた夜
熱にうなされた夜
暴言ひとりでさけんでいた夜
ドアのすきまが気になった夜
パンツを池になげこんだ夜
たぬきねいりでごまかした夜
雪にうもれた夜
床のかたさがうっとうしかった夜
あなたが誰かとひとつになった夜
なにもないふりをした夜
他のやつをだしぬいたとおもった夜
完勝をかくしんした夜
恥ずかしいおもいででしにたくなった夜
よくわからん三人で家主がいないいえに泊まった夜
さむい五月の軽井沢の夜
しずかな霧降高原の夜
筑波のなつかしい夜
高山のふぜいな夜
足利のあたたかい夜
新大久保のはらたった夜
一関のうるさい夜
十和田のきょうふの夜
風のつよい竜飛岬の夜
駐禁とられてた夜
倉敷のわくわくの夜
疲れてすぐねた夜
ぜんぶどうにかなる気がした夜
なにもできない気がした夜
あさがまち遠しかった夜
あさがきてほしくなかった夜
おわってほしくなかった夜
とじこめられてしまいたかった夜
世界からぼくら以外がきえた夜
そして韓国人がえいごではなしかけてくる夜

夜が人を成長させると思う
「どんな人生を歩んできたか」は
「どんな夜を過ごしてきたか」なのである
どの夜も僕に流れてる
僕を大きくしてくれる
こんな愉快な夜たち
誰もきっと敵わない
楽しい夜
色んな夜

♯35 問はず語らず

数年前にどこかで聞いた言葉をずっと心の片隅に置いている。

「汝の過去はその現在にて知らるべし」

不思議なもので、いつまでも覚えている言葉というのはガラスケースに飾られて大事に渡されるようなものではないことが多い。むしろ一瞬の会話で吐き捨てられたようなものであったり、大事な言葉を言った風な人の放つ次の言葉であったりする。これもそのうちのひとつ。

ツイッターフェイスブックにブログに、みんな自分の気持ちと状況を聞かれてもないのに世界に発信している。誤解をされないため、解くためだろうか。虚勢を張るためであろうか。元気にやってますの報告だろうか。

「あの時はこうだったけど誤解しないで、今はこうなってるから」
「みんな僕を見くびってるけど僕はこんなに豊かな世界観をもっているんだからな」
「アタシの毎日はこんなに充実してるっぺよ」
「争いを俯瞰的に分析している私」
「その俯瞰的な人をさらに分析しているボクチン」

すごいなあ、あいつの毎日は。俺とは大違いだ。で、会って話してたらどうも違う。そんなに充実して本を読んで面白おかしい日々を送ってる人間なのにどうしてそうしょうもないのだろう。なんて思ったり。当然僕も見栄をはって生きているわけだからそう思われる瞬間はいつでもあるだろうけれど。でもこの言葉を知っている時点で少し頭は抜けている。なんて。

結局、現在の自分が全てなのではないかと思う。本当に素晴らしい人間なら回り回って現在そんなにすごくなくても何かは滲み出ているのではないか。その逆もしかり。過去の武勇伝をいかに滔々と語られたところで、現在がそれに釣り合っていなければ、そんなお話に一体何の意味があるだろう。それにショーンKの例もある。思った以上にこの世界には大ホラ吹きが溢れている。思った以上にウソつきは身近にいる。気がする。

口下手であったり、人見知りであったり人の性質は様々で、人を見る目を鍛えることは難しい。だから僕はせめて人に見出だされたい。人を見る目の肥えている人に「こいつは久々に本物だ」と思われるような人間でありたい。どこかの分野においてはで良いけれど。だから筆を置こう。問われてないから語らない。何も言わず実績を重ねよう。「The records show!」なんて言葉を吐いて死んでいけるようにエルビス・プレスリーのように。

♯34 CK泥棒事件とコックロッチonベッド等の雑記

謎に包まれた事態である。僕のいる学校では最近、カルバン・クラインのパンティーだけが盗まれる事件が続発している。僕はカルバン・クラインを持っていないので事なきを得ているが、この学校で一体何が起きているのだろうか。

最初は愉快犯か変態かと思われたが、この盗難が1ヵ月ほど続いていること、カルバン・クラインだけが盗まれていることから思うに、転売目的なのではないかと噂されている。それにしてもどれも使用済み。付加価値はどうなっているのだろう。すでに三人部屋の僕のルームメイトも二人ともパンティーを取られており、常々

「There is very hentai in this school…」

と嘆いている。シリアスな顔でそんなこと言われてもシュールである。しかし笑っちゃったら疑われそうである。あとパンティーって言ってるところ。「I am sad I lost my パンティー」て。

あとどうでもいいが、現地の先生が虫が嫌いで殺虫剤を振り撒いてる女子のことを「very dangerous girl…」と呟いていた。英語には面白みが一杯である。

セブは物価も安いしとてもいいところなので留学にはうってつけである。だがコックロッチがベッドに這ってることや、気づくと体に蟻が上陸していることなどを意に介さないメンタリティのない人はやめることを強くすすめたい。そう感じるエブリデイである。

しかしこれを知ってるのと知ってないの差は大きいな。来てよかった。



日本語力の退化との戦いに次のブログこそは勝利したいものである。

♯33 Road of座フィリピン支部その2

ぶっちゃけ英語はなんだで通じる。そう思った。さんたんげんのエスが付いてなくても、全部現在形でしゃべっても、エルとアールの発音同じでも通じる。日本の先生は文法に発音にうるさかった。細かいことは本当は本当に考えなくていいのかも。

こないだ現地の先生が言ってた「I like him because he is simple,」アホくさいことに一人やたら衝撃を受けた。そっか。シンプルだから好きなのか。シンプルってだけで人間ってわかりあえるんだって。別にオシャレなことしなくていいんだ。高尚な考えなんて持たなくていいんだ。外に出て人としゃべって笑って「今日も飯がうまい」バタンキューゴートゥーベッドでいいんだ。難しいことしなくても人はそう簡単に一人にはならないんだ。

エスオアノーの質問に「I think~」なんてつけなくても「イエス!」「ノー」っていっといた方がいいや。その方が分かりやすいや。

あ~あ。少し賢くなったと思ったらまたすぐ「いままでの俺はなんてバカだ」っていうのに出会って。でもそういう時が一番生きてるって感じがする。今度こそちっこい脳みそで無理やり世界をきれいに考えるのはやめようね。ちっこいなりに有用に出来てるコレはなんかもっと別のことに使いたい。いえあ。

確かに「これだ!」ってバシッと自分のすげーことをした達成感と、周りのすげーって評価が一致するときがある。幸せなことに僕はこれまで何度かそれを体験した。ほんとかウソかは知りませんが。そういう時っていつも体が勝手に動いたようなそんな時だ。いろいろ考えた末のものはなぜか、いつもそんな爽快感がない。気とかオーラとか殺気とか雰囲気とか、アヤシイことも、もとをただした物はきっと知っているものと思ったり。



あ~言いたいことが表現できまくれる幸せ。こちらからは以上です。

♯32 明日があるさ

過去に対する不安や絶望は必ず乗り越えられると信じている。僕にとって大変なのは未来に対する不安や絶望である。「あの時不安だったなー」「あのとき絶望したなー」よりも「これから不安だなー」「これから絶望だなー」の方がつらい。今しか生きることが出来ない我々にとってはこれが問題である。

でも未来の不安も絶望もいずれ今を通過して過去になっていくわけで、そうなってしまえば「あのときは不安だったなー」「絶望したなー」となるわけで、得てしてそういう経験は「あれだけの試練を乗り越えた」っていう自信に繋がる。ということは「これから不安だなー」「これから絶望だなー」という未来への不安は既に過去の自信である。ご存じの通り時間というものは単なる数直線ではなくて、成長し、膨張し、逆戻りするものである。未来への不安には既に過去からの自信の芽が育ち始めている。だから僕らはことさら未来を特別視するのをやめよう。未来というものは過去なのだ。過去とはつまり未来なのだ。近代科学に毒された我々の汚濁した思考体系に今こそ風穴をあけてやろうではないか。浅学非才な僕は人を説得することも影響を与えようとすることももうやめた。僕がほしいものは自分の美学であってそれ以上でも以下でもないのだ。

みたいな支離滅裂なことを考えることで英語が話せない環境のストレスを発散している僕は病気なのでしょうか?(22歳・学生)

♯31 Road of座フィリピン支部

えー、こちら大橋こちら大橋。どうぞ。どうぞ。そちらの声が全く聞こえない。こちらの声は聞こえているのか。質問している、質問している。ワンツゥーワンツゥー。麒麟です。ハッハッ、ヘイヘイ、ロウロウ。

えー、こちら大橋、そちらの声が全く聞こえない。繰り返す。こちらそちらの声が全く聞こえない大橋。どうぞ。こちら大橋、こちらの声は聞こえているのか。質問している。繰り返す。こちらこちらの声が聞こえているのか質問している大橋。ダメだこりゃ。電波が通じていない。繰り返す。電波が通じていない。よって、聞かれたら少しイヤな言葉を言う。繰り返す。電波が通じていないため聞かれたら少しイヤな言葉を言う。うんち。ほら。おっぱい。いえーい。バーカ。アーホ。ドージ。やーい伊勢川短足。垣間見。きぬぎぬ。恋文。オホーツク海。ボケナスアンポンタン。お前のかあちゃんオリエント急行。飽きたので一方的にこちらの状況を報告していく。

フィリピンはかなり暑い。セブ島に来てはみたけど今日まだ「オーケー!」しか言っていない。取り急ぎ早く「アイスィー」にしていきたい。あっ部屋に猫入ってきた。繰り返す。あっ部屋に猫入ってきた。両手をあげて威嚇してみたであります。

飛行機でビーフオアフィッシュ?って聞かれてチキンって答えた。ああここは海外なんだなあって。

しかしこれからしばらくここ常夏のカントリーでスタディしたりエンジョイしたりベリービズィ。とりあえず海に行きたい。生命のふる里。海。泳いで魚追いかけて日に焼けたい。クールピーポーの仲間入りをしたい。時差を時の狭間って言いたい。one hourをアンアウアーじゃなくてアナウワーって言いたい。デービスのことをデイブって呼びたい。



こちらからは以上です。