隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯30 命かけて

今日もぐーたら。昨日もぐーたら。一昨日も一昨々日もその前もその前も。ぐーたらぐーたら。勉強しなきゃ。準備しなきゃ。計画立てなきゃ。よーし…ぐーたらぐーたら。しょうがないので久しぶりに祖父母に会いに行った。

元気だった。息子家族がやってくると言って寿司の出前を取る最高のテンプレート。「苦いお茶が好き」という発言が約17年前、僕の口からこぼれた日から来るたび必ず出てくる苦いお茶。一息つきながら二人は息子と、自分たちの葬式のことを相談している。

「どっちかが先逝ってどっちかがボケたとき用にここに書類が入ってるから笑」

終活と呼ばれるもので、最近は生きてるうちに自分の葬式、遺産のことを詳しく決めておいて、いざ【コト】が起こったときに周囲の人間が困らないようにするという配慮である。それにしても僕には分からなかった。自分の葬式を笑いながら説明する二人が。60年一緒に寄り添ってきた人が、ある日突然いなくなる未来が見えてしまったときの気持ちが。自分が死ぬことが。

祖父は学者だった。戦前に商業学校を出て、ひどい苦学の末、研究者になった。真面目に、真面目に本を読み、論文を書き、仕事をこなし、叙勲ももらった。大学闘争の時は教員として先頭に立った。

「学生諸君が大挙して大学に押しかけてきた。そこでそこのリーダーやっとる君が『大橋出せ大橋出せ』と言うもんだから出てかなくちゃならん。そんでその君とあれやこれや言い争いをしとったら、大変なもみ合いの中で誰かが僕の足を蹴ったんだ。その時その学生諸君は『自分達は絶対暴力は振るわん』と言ってたから、僕は『君ら暴力は振るっちゃいかんだろ!』と言ったんだ。そしたら『嘘言うな俺はやってない』とこう言う。『なんでや今僕を蹴ったろう』と言うと。その君が『やってないと言ってるだろ!』と言いながら僕の顔をぶったんだ。」

「大学の壁に『労働者を守れ』という落書きをした学生に『大学教員という僕ら労働者がそれを消すんだからやめてくれ』と言ったら謝って逃げていった。」

僕らが波乱万丈を豪語していることなんて一体何なんだろう。惚れた腫れたで一喜一憂してる場合じゃない。

「上の人間は下の人間を見てる。どんな上の人間だって下の人間の気持ちが分かる。そうだろう。君のサークルだって二年生は一年生が今の時期どんな気持ちでいるか分かるだろう。上の人間は下の人間が本当に頑張ってるか、いい加減に仕事してるか一目で分かる。下の人間は上の人間につり上げてもらってチャンスをつかんでいくんだ」

「僕が普通の教授たちより若いのに○○先生がすごく良くしてくれることに、周りの人間がつっかかってくることもあった。でもそういう人には『じゃああなたは一生懸命仕事してるんですか?こっちは命かけてやってるんだぞ。あなたは命かけて、コレやっとるのかね!』と言ってやったんだ。そしたら君、向こう何も言い返せない。」


そういや親父は二浪目の秋から死ぬ気で勉強始めたらしいけど、その時もやっぱり父に『一生懸命やりなさい』って言われたんだとか。なんだか、命かけてやる、とか一生懸命やる。とかって言葉は小さい頃からどこでも聞かされていたことだけど、最近はそれこそが結局は全ての答えなのではないか、なんて。でも問題は、そういう風に熱意を持って出来ることを見つけられるか、ってことだとも。僕にとって命をかけて、一生懸命出来ることって何なんだろう。いい加減とハッタリで生きてきた僕にそんなものあるのだろうか。もし見つけたらその時は命をかけてやろう。


だったらそれってもう見つけてるのかも。どうだろう。分からないけどとりあえず、ベッドから起き上がる。

♯29 ナントカ編・完とナンタラ編・突入

6月頃から始まったこのブログを第二回公演への布石だと思っていたら、どうやら違いました。ここまで来てしまった以上、どうやら第百回公演まで隔日で更新していかねばならぬようです。嗚呼。しかし一つ、重要なチャプターが終わったことは事実。五年目コースの我々もようやく大学生活の折り返しを過ぎたということもありまして、ここからはまさに【新章突入】する勢いでやっていければと思います。これからもこのブログのことをよろしくお願い致します。

しかし新章突入、と書いてみて。新章って何なんでしょうね。『いや、上に書いてたやん』Road of座と大学生活という面から見た時の新章ということですね。もし僕が高校と大学一年以来の合気道を来年復学してから再開したとして。それに残りの大学生活没頭したとして。そうなるとそれまでのお芝居をやっていた期間はまとめて『お芝居なんていうものをやっていた時間』となるわけであって。Road of座第二回公演が終わったなんてことはその時の自分からすると新章でも何でもないことになります。

そんな風に考えると、今は「こうだ!」と意味付けているものもあとから振り返ると全然違う意味になることが多いような気がします。加えて、自分と他人での意味付けというのも同じように変わるのではないでしょうか。というのは、僕視点で見ると新章突入でも、僕やRoad of座に何も関わってない人は新章でも何でもなくて、大橋というモブAが画面外で勝手にユニット作って勝手にお芝居していたというだけでしょう。

なんだかそう考えると少し空しいですね。いつか、Road of座や僕の『新章突入』が周りのみんなを、いつかの時点の誰かの意味付けをも巻き込んで、みんな全ての『新章突入』に出来る日、来るでしょうか。来るといいな。


なんだか新章突入なのに要領を得ない文章になってしまった。眠いときに考えるんじゃなかった。

それではまた隔日後に。

♯28 終演!

時は西暦12017年8月29日。12010年に勃発したネオ関ヶ原の戦いで戦場となった日本は火の海と化していた…。

「ニポンが二分されてマス。」
「見下す関東。見下す関西。」
老害迫害若者形骸放置。」
「手を取り合おう一人で死なないために。」

ぐるぐるぐるぐる。歴史に再会。おろか者の輪廻は一通り。時は一方通行。ところが対面通行。正面衝突。スーパーノヴァ。重力崩壊。ぽつねん。

「水星がやられたようだな。」
「しかしやつは太陽系の中でも最弱…。」
「太陽は最強なのですか。説。」
「最も卑近な例で申しますと55と言えば松井秀喜選手がおりますね、最強です。」

嗚呼ミゼラブル。誰かの責任被る。誰かのパンツを被る。誰かのパンツをカブールでかぶ~る。ワロリンヌ。



8がつ29にち。てんき。くもりときどき中距離弾道ミサイル。

きょうは、早起きしたので芝居した。丸い舞台のスクランブルは段差があるから息が切れたね。袖幕ないから休めやしないね。舞台監督有能だったね。空間を彩る。エスプセッソに牛乳を混ぜたような明かりが司るんだって。ポップな衣装にポップなすね毛。剃るのはとてもめんどくさい。増えるフォロワー。増える関西人。チョキ、じゃんけん史上に残る感動のあいこ。次世代のグー。未だ見えぬはパーの逆襲。レッドブルのみ結末をしる。アイラブあすか。俺はあすかのことが好きです。《中略》とかとかとか、そんなことはじつはぜんぶどうでもよくて、多くの人に来てもらってすごくうれしかったです!









それから時は流れ。

大橋「いや~終わったね」
伊勢川「なんかけっこう良かったんじゃね」
稲葉「喧嘩しまくったけど公演中止にならなかったから良かった」
大橋「第二回の反省活かしまくったね」
伊勢川「第二回より百億倍いいのつくりまくったね」
稲葉「最高の第三回公演だったわけさアハハ」
大橋「ワハハ」
伊勢川「ガハハ」













【どどん!】Road of座第三回公演、近日襲来【たぶん!】







今回はRoad of座第二回公演「そいつのまわりをぼくたちは」にご来場いただきありがとうございました。ご協力いただいた全ての方のお力添えで、また一つ公演をやり遂げることが出来ました。次回は団員一同今より更に力を付けて、皆様に臨んで参りますゆえ!今後ともRoad of座をよろしくお願いいたします。
それでは、また劇場でお会いしましょう!m(__)m











ぶーん。(ブログが隔日更新なのは変わんないんだろうなあ…)

みちづれ♯5 きのしたくん

いま僕達は人生の夏休みと言われている大学生のさらに夏休みを過ごしている。皆さんはこの余りすぎている時間をどう過ごしているのだろうか。バイト、趣味、睡眠、勉強、恋人探し、様々なことをして過ごしていることだろう。
この夏、僕は伊勢川くんにブログを書けと言われて題材に迷っていたがついに決まった。"睡眠"である。

最近僕はなぜか眠れない。睡眠時間が1時間ほどで毎日を過ごしている。これは危ないと思い様々な方法で睡眠をとろうと努力した。その方法と結果について述べようと思う。

1、バナナを食べる
バナナには睡眠に必要なホルモンを作る物資が多く含まれるとか
→特に変わらず眠れない、歯を磨かないといけないので面倒だった
2、寝る前にヨガをする
交感神経を鎮めて眠気を引き起こすとか→体が思ったよりもかたく、腱が痛くなってしまった
3、脳をリラックスさせる
考え事、悩み事などを一通り紙に書いてまとめて布団に入ると脳が整理させるとか
→書くことに一生懸命になると逆に目が覚めてきたので注意
4、入浴剤をつかって半身浴
就寝1時間前に交感神経から副交感神経への切り替えを促すとか
→絶大な効果がみられた、寝覚めもとても爽快だった
5、478呼吸法
4秒かけて鼻から息を吸い込み、7秒息を止め、8秒かけて口から息を吐ききることを繰り返すとよいとか
→止めるところがしんどくて目が覚めた
6、明るくして寝てみる
目に入る光量が増えると副交感神経が優位になるとか
→特に変わらず眠れない
7、Amazonで買った睡眠導入剤を使う
→眠ることができた、入浴後に使うとよりよく眠れるかもしれないが知らない
8、心の中で''あー''と言う
頭の中に言葉が浮かんでくるたび、心の中で''あー''と叫んで打ち消し続けると頭の中が空っぽになるとか
→最初は狂気じみていて笑ってしまったが、慣れてくるとウトウトする
9、本を読む
寝ることもでき、さらに勉強もできて一石二鳥だとか
→特に変わらず眠れない

以上の結果から、風呂に入る、睡眠導入剤を使う、心の中で''あー''と叫ぶ、が最も効果的であった。
これは僕個人の結果であり、人によって差異は生じると考えられる。これらの方法を寝不足の人に是非試してほしい。そして、その結果を8/29にRoad of 座の公演を見に来た際に伊勢川くんに伝えてくれると嬉しい。

こいバナはるき♯3 帰り道のバナ

ちょっと昔に考えてたこと。
飲み会の帰り道が好きなんです。結構もう自転車には乗らない方がいいくらいに酔った後の帰り道が。お店の前まではすごい盛り上がってて、火照った体に流れる風が気持ちよくて、夜の街の明かりがぼやーって見えるんです。



さっきまで同じ方向の人と帰ってたはずなんだけど、あれは先輩だったか、後輩だったか、はたまた最初から一人で帰ってたのか、全然思い出せなくなって、でも思い出そうともならなくて。ただこんな気分のいい夜を独り占めにできるなんて、僕は贅沢物だなぁとしみじみと感じる。

このマンションはあいつの家。どの窓があいつの部屋かは分からない。ただ虫食いみたいにまばらに、ぼやっとしたカーテン越しの明かりがついてる、箱。でもあの明かり一個一個に誰かの生活があって歴史があって未来があるんだなって感じるところで、いまあいつは帰省してたんだったと思いつく。

そんなこと言うと誰かの生活なんていくらでもある。ここのアスファルトのガムも誰かの生活の結果だし、ここに自転車が止まってるのは誰かの生活の結果だし、嫌になるほど生活であふれてる。そしてこの道は僕の帰り道だ。

高校の時の帰り道を思い出す。部活で疲れた体と満員電車。汗と微睡みの時間。あの時は隣の人のことなんて考えたこともなかったな。ただただ人で溢れかえっていて、今思うと感覚がマヒしてたのかな、でもあの電車の中ではそれが常識だったから、何の疑いもなく電車につまってたから。

この帰り道は全然違う。汗もないし人もいない。でも変わらない帰り道なんだ。この夜の匂いだったり肌触り、流れる風と漏れ出る灯り。あぁ、僕は帰ってるんだ。今日一日を終えて帰ってるんだ。壁と天井と布団しかないような家だけど、帰ってるんだ。あそこは僕の家なんだ。僕の家はもう実家じゃなくて、あの部屋になってしまったんだ。帰ろう。もう帰ろう。だってもう眠気と吐き気が限界だから。

ちょっとだけ家路を急ぎながら、僕の生活もこの街の一部になってくんだな、なんて思ってリ。

♯27 8411回目の午前11時44分

朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、髭を剃って、気がつけば午前11時44分を過ぎていた。休学中は時間に制約されることが少ないからあまり時計を見なくなった。

例えば一年前の今日の午前11時44分は何をしていただろうと考える。確かこの時期は大阪の実家でダラダラしていた気がするから、おそらくベッドで眠りこけていたのだろう。

じゃあ二年前の今日の午前11時44分はどうだろうと考える。確か9月から免許合宿に行くからこの時期は札幌にいた。何か有意義なことをしていただろうか。

ならば三年前は?四年前は?十年前は?二十年前は?昨日は?一昨日は?一昨々日は?

同じ時間は来るはずがないのに人間はそれを区切った。繋げて丸めて循環にした。だから本来今しかないはずの「今」と、それと比べる「今」を考えつくことが出来る。比べられる。比べられる。優劣をつけられる。なんて科学的!

そして苦しめられる。時間と共に何もかもが変わっていく世界で、何度も何度も何故か同じ午前11時44分を経験している。僕の変化は成長か退化なのか。成長していないなら人の存在意義はどうなっていくのだろう。24時間前の午前11時44分より有意義に生きねばならないという声がする。でもそんなことは出来ない。

昔予備校の数学の先生が、人生は三角関数のように浮き沈みをするもんだと言っていた。三歩進んで二歩下がる。しかし同じ二歩にしても下がり方というものがある。前よりも機敏に、獰猛に食い下がれるだろうか。そんなこと考えたらおちおち下がっていられない。

そして進んでいるときに僕と出会い期待した人にはどう顔向けしよう。厄介なことを考えてしまうものである。腕が落ちたと言われる。牙を抜かれたと言われる。変わってしまったと言われる。失望される。いずれは老けたと言われる。見放される。いたたまれなくなる。下がっているときに僕と出会い見下した人にはどう手向かおう。本当の僕はこんなもんじゃない、なんて虚しいことを言ってしまうのだろうか。

24時間前の午前11時44分の自分の無意識の渾身の改善策が、24時間後の午前11時44分の今の自分に花開いている、なんて。なんて進化論。

8411回目の午前11時44分。24時間後8412回目の午前11時44分。十年後12063回目の午前11時44分。何回も何回も何回も試されて試されて試される。



8月29日。是非試しに来てください。

かたはらいたし#3

ミーハーになりたい。
ほら私ってぇ、基本出不精で行動力に欠ける人じゃん?だからなんか計画して連れてってくれるヒトがいいんだよねぇ。

自分語りのめんどくさい行き遅れ女みたいなつぶやきをしたところで誰も遊びに連れてってくれないので外に出る理由は自分で探さなくてはならない。別に家でスプラトゥーンやってれば満足なんだけど、「大学生それでいいの?」的な声がどこかから聞こえてくる。何この幻聴。

イベントに巻き込まれたい、ドラクエの主人公みたいに。「巻き込まれたい」というあたりに自分から動く気がない感がにじみ出ているがものすごくしっくりくる表現である。巻き込まれたい。

そこでミーハーである。何か催し事があればよく知りもしないのにそこに飛び込んでいく姿勢。素晴らしい、絶対そっちのほうが人生楽しい。自意識過剰で自分のいないところでどんな風に言われているかを何より気にする僕だが「ミーハーじゃん」とか「ニワカ」と言われることについてはなんていうんだろう、あんまり響かない。これはチャンス。

ミーハーになるには「自分には関係ない」と、思わないことが第一歩である。

僕が通っていた高校は野球やら吹奏楽がかなり強いところだった。入学式のその日が甲子園の決勝で、校長がスピーチもそこそこに足早に甲子園の応援に向かっていったのが思い出深い。
高校の名前は同じでも僕たちのような「勉強組」と野球部などの「部活組」はコース、課程によって完全に分けられており、クラスも全く別々だったのである意味別の学校と言ってもいいぐらいだった。
野球部が甲子園に出ようが知り合いがいるわけでもなし、なんでそんな騒ぐん?といわれたことがある。お答えしよう、ミーハーだからだよ!

「母校」を「母国」に変換すればワールドカップやオリンピックも楽しめる。
ニュースでよく盛り上がっている人々が映されるが、あの人たちのなかで本当に心から応援してるのってどれくらいなんだろう。実際はただ盛り上がりたくて自分から巻き込まれにいってるだという、僕みたいな人もかなり多いんじゃないかと推理してるんだけど。

あ、すみません。そろそろintroっていう劇団のお芝居見に行くんで途中なんですけどやめますね。