隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

このブログについて

●このブログって?

このブログはRoad of座代表の大橋拓真のニート生活に彩りを与えようと、同じくRoad of座の伊勢川明久の好意の提案によって始まったものである。確実に隔日で大橋がおおはしゃぎするというコンセプトで立ち上げたられたブログだが、現在は大橋が月水金を、火曜を稲葉が、日曜を北原が担当している。

 

●Road of座って?

Road of座は、2017年1月31日、札幌某所にある定食屋で、札幌にある某有名大学に通う大橋、伊勢川、稲葉の3人が「喧嘩してもいい。公演中止だけはダメだ」の声の元、たちあげた劇団。
脚本家の極めてパーソナルな問題を、世界への皮肉としょーもないギャグでごまかしつつ客に押し付ける作風を得意とする。

 

●メール 

→ road.of.za2017@gmail.com

Twitter  

→ @Road_of_za 

●ホームページ

→   https://roadofza2017.wixsite.com/roadofza

●公式LINEスタンプ「あなあきアール君」

→  https://line.me/S/sticker/1501435

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♯35 問はず語らず

数年前にどこかで聞いた言葉をずっと心の片隅に置いている。

「汝の過去はその現在にて知らるべし」

不思議なもので、いつまでも覚えている言葉というのはガラスケースに飾られて大事に渡されるようなものではないことが多い。むしろ一瞬の会話で吐き捨てられたようなものであったり、大事な言葉を言った風な人の放つ次の言葉であったりする。これもそのうちのひとつ。

ツイッターフェイスブックにブログに、みんな自分の気持ちと状況を聞かれてもないのに世界に発信している。誤解をされないため、解くためだろうか。虚勢を張るためであろうか。元気にやってますの報告だろうか。

「あの時はこうだったけど誤解しないで、今はこうなってるから」
「みんな僕を見くびってるけど僕はこんなに豊かな世界観をもっているんだからな」
「アタシの毎日はこんなに充実してるっぺよ」
「争いを俯瞰的に分析している私」
「その俯瞰的な人をさらに分析しているボクチン」

すごいなあ、あいつの毎日は。俺とは大違いだ。で、会って話してたらどうも違う。そんなに充実して本を読んで面白おかしい日々を送ってる人間なのにどうしてそうしょうもないのだろう。なんて思ったり。当然僕も見栄をはって生きているわけだからそう思われる瞬間はいつでもあるだろうけれど。でもこの言葉を知っている時点で少し頭は抜けている。なんて。

結局、現在の自分が全てなのではないかと思う。本当に素晴らしい人間なら回り回って現在そんなにすごくなくても何かは滲み出ているのではないか。その逆もしかり。過去の武勇伝をいかに滔々と語られたところで、現在がそれに釣り合っていなければ、そんなお話に一体何の意味があるだろう。それにショーンKの例もある。思った以上にこの世界には大ホラ吹きが溢れている。思った以上にウソつきは身近にいる。気がする。

口下手であったり、人見知りであったり人の性質は様々で、人を見る目を鍛えることは難しい。だから僕はせめて人に見出だされたい。人を見る目の肥えている人に「こいつは久々に本物だ」と思われるような人間でありたい。どこかの分野においてはで良いけれど。だから筆を置こう。問われてないから語らない。何も言わず実績を重ねよう。「The records show!」なんて言葉を吐いて死んでいけるようにエルビス・プレスリーのように。

♯34 CK泥棒事件とコックロッチonベッド等の雑記

謎に包まれた事態である。僕のいる学校では最近、カルバン・クラインのパンティーだけが盗まれる事件が続発している。僕はカルバン・クラインを持っていないので事なきを得ているが、この学校で一体何が起きているのだろうか。

最初は愉快犯か変態かと思われたが、この盗難が1ヵ月ほど続いていること、カルバン・クラインだけが盗まれていることから思うに、転売目的なのではないかと噂されている。それにしてもどれも使用済み。付加価値はどうなっているのだろう。すでに三人部屋の僕のルームメイトも二人ともパンティーを取られており、常々

「There is very hentai in this school…」

と嘆いている。シリアスな顔でそんなこと言われてもシュールである。しかし笑っちゃったら疑われそうである。あとパンティーって言ってるところ。「I am sad I lost my パンティー」て。

あとどうでもいいが、現地の先生が虫が嫌いで殺虫剤を振り撒いてる女子のことを「very dangerous girl…」と呟いていた。英語には面白みが一杯である。

セブは物価も安いしとてもいいところなので留学にはうってつけである。だがコックロッチがベッドに這ってることや、気づくと体に蟻が上陸していることなどを意に介さないメンタリティのない人はやめることを強くすすめたい。そう感じるエブリデイである。

しかしこれを知ってるのと知ってないの差は大きいな。来てよかった。



日本語力の退化との戦いに次のブログこそは勝利したいものである。

♯33 Road of座フィリピン支部その2

ぶっちゃけ英語はなんだで通じる。そう思った。さんたんげんのエスが付いてなくても、全部現在形でしゃべっても、エルとアールの発音同じでも通じる。日本の先生は文法に発音にうるさかった。細かいことは本当は本当に考えなくていいのかも。

こないだ現地の先生が言ってた「I like him because he is simple,」アホくさいことに一人やたら衝撃を受けた。そっか。シンプルだから好きなのか。シンプルってだけで人間ってわかりあえるんだって。別にオシャレなことしなくていいんだ。高尚な考えなんて持たなくていいんだ。外に出て人としゃべって笑って「今日も飯がうまい」バタンキューゴートゥーベッドでいいんだ。難しいことしなくても人はそう簡単に一人にはならないんだ。

エスオアノーの質問に「I think~」なんてつけなくても「イエス!」「ノー」っていっといた方がいいや。その方が分かりやすいや。

あ~あ。少し賢くなったと思ったらまたすぐ「いままでの俺はなんてバカだ」っていうのに出会って。でもそういう時が一番生きてるって感じがする。今度こそちっこい脳みそで無理やり世界をきれいに考えるのはやめようね。ちっこいなりに有用に出来てるコレはなんかもっと別のことに使いたい。いえあ。

確かに「これだ!」ってバシッと自分のすげーことをした達成感と、周りのすげーって評価が一致するときがある。幸せなことに僕はこれまで何度かそれを体験した。ほんとかウソかは知りませんが。そういう時っていつも体が勝手に動いたようなそんな時だ。いろいろ考えた末のものはなぜか、いつもそんな爽快感がない。気とかオーラとか殺気とか雰囲気とか、アヤシイことも、もとをただした物はきっと知っているものと思ったり。



あ~言いたいことが表現できまくれる幸せ。こちらからは以上です。

♯32 明日があるさ

過去に対する不安や絶望は必ず乗り越えられると信じている。僕にとって大変なのは未来に対する不安や絶望である。「あの時不安だったなー」「あのとき絶望したなー」よりも「これから不安だなー」「これから絶望だなー」の方がつらい。今しか生きることが出来ない我々にとってはこれが問題である。

でも未来の不安も絶望もいずれ今を通過して過去になっていくわけで、そうなってしまえば「あのときは不安だったなー」「絶望したなー」となるわけで、得てしてそういう経験は「あれだけの試練を乗り越えた」っていう自信に繋がる。ということは「これから不安だなー」「これから絶望だなー」という未来への不安は既に過去の自信である。ご存じの通り時間というものは単なる数直線ではなくて、成長し、膨張し、逆戻りするものである。未来への不安には既に過去からの自信の芽が育ち始めている。だから僕らはことさら未来を特別視するのをやめよう。未来というものは過去なのだ。過去とはつまり未来なのだ。近代科学に毒された我々の汚濁した思考体系に今こそ風穴をあけてやろうではないか。浅学非才な僕は人を説得することも影響を与えようとすることももうやめた。僕がほしいものは自分の美学であってそれ以上でも以下でもないのだ。

みたいな支離滅裂なことを考えることで英語が話せない環境のストレスを発散している僕は病気なのでしょうか?(22歳・学生)

♯31 Road of座フィリピン支部

えー、こちら大橋こちら大橋。どうぞ。どうぞ。そちらの声が全く聞こえない。こちらの声は聞こえているのか。質問している、質問している。ワンツゥーワンツゥー。麒麟です。ハッハッ、ヘイヘイ、ロウロウ。

えー、こちら大橋、そちらの声が全く聞こえない。繰り返す。こちらそちらの声が全く聞こえない大橋。どうぞ。こちら大橋、こちらの声は聞こえているのか。質問している。繰り返す。こちらこちらの声が聞こえているのか質問している大橋。ダメだこりゃ。電波が通じていない。繰り返す。電波が通じていない。よって、聞かれたら少しイヤな言葉を言う。繰り返す。電波が通じていないため聞かれたら少しイヤな言葉を言う。うんち。ほら。おっぱい。いえーい。バーカ。アーホ。ドージ。やーい伊勢川短足。垣間見。きぬぎぬ。恋文。オホーツク海。ボケナスアンポンタン。お前のかあちゃんオリエント急行。飽きたので一方的にこちらの状況を報告していく。

フィリピンはかなり暑い。セブ島に来てはみたけど今日まだ「オーケー!」しか言っていない。取り急ぎ早く「アイスィー」にしていきたい。あっ部屋に猫入ってきた。繰り返す。あっ部屋に猫入ってきた。両手をあげて威嚇してみたであります。

飛行機でビーフオアフィッシュ?って聞かれてチキンって答えた。ああここは海外なんだなあって。

しかしこれからしばらくここ常夏のカントリーでスタディしたりエンジョイしたりベリービズィ。とりあえず海に行きたい。生命のふる里。海。泳いで魚追いかけて日に焼けたい。クールピーポーの仲間入りをしたい。時差を時の狭間って言いたい。one hourをアンアウアーじゃなくてアナウワーって言いたい。デービスのことをデイブって呼びたい。



こちらからは以上です。

♯30 命かけて

今日もぐーたら。昨日もぐーたら。一昨日も一昨々日もその前もその前も。ぐーたらぐーたら。勉強しなきゃ。準備しなきゃ。計画立てなきゃ。よーし…ぐーたらぐーたら。しょうがないので久しぶりに祖父母に会いに行った。

元気だった。息子家族がやってくると言って寿司の出前を取る最高のテンプレート。「苦いお茶が好き」という発言が約17年前、僕の口からこぼれた日から来るたび必ず出てくる苦いお茶。一息つきながら二人は息子と、自分たちの葬式のことを相談している。

「どっちかが先逝ってどっちかがボケたとき用にここに書類が入ってるから笑」

終活と呼ばれるもので、最近は生きてるうちに自分の葬式、遺産のことを詳しく決めておいて、いざ【コト】が起こったときに周囲の人間が困らないようにするという配慮である。それにしても僕には分からなかった。自分の葬式を笑いながら説明する二人が。60年一緒に寄り添ってきた人が、ある日突然いなくなる未来が見えてしまったときの気持ちが。自分が死ぬことが。

祖父は学者だった。戦前に商業学校を出て、ひどい苦学の末、研究者になった。真面目に、真面目に本を読み、論文を書き、仕事をこなし、叙勲ももらった。大学闘争の時は教員として先頭に立った。

「学生諸君が大挙して大学に押しかけてきた。そこでそこのリーダーやっとる君が『大橋出せ大橋出せ』と言うもんだから出てかなくちゃならん。そんでその君とあれやこれや言い争いをしとったら、大変なもみ合いの中で誰かが僕の足を蹴ったんだ。その時その学生諸君は『自分達は絶対暴力は振るわん』と言ってたから、僕は『君ら暴力は振るっちゃいかんだろ!』と言ったんだ。そしたら『嘘言うな俺はやってない』とこう言う。『なんでや今僕を蹴ったろう』と言うと。その君が『やってないと言ってるだろ!』と言いながら僕の顔をぶったんだ。」

「大学の壁に『労働者を守れ』という落書きをした学生に『大学教員という僕ら労働者がそれを消すんだからやめてくれ』と言ったら謝って逃げていった。」

僕らが波乱万丈を豪語していることなんて一体何なんだろう。惚れた腫れたで一喜一憂してる場合じゃない。

「上の人間は下の人間を見てる。どんな上の人間だって下の人間の気持ちが分かる。そうだろう。君のサークルだって二年生は一年生が今の時期どんな気持ちでいるか分かるだろう。上の人間は下の人間が本当に頑張ってるか、いい加減に仕事してるか一目で分かる。下の人間は上の人間につり上げてもらってチャンスをつかんでいくんだ」

「僕が普通の教授たちより若いのに○○先生がすごく良くしてくれることに、周りの人間がつっかかってくることもあった。でもそういう人には『じゃああなたは一生懸命仕事してるんですか?こっちは命かけてやってるんだぞ。あなたは命かけて、コレやっとるのかね!』と言ってやったんだ。そしたら君、向こう何も言い返せない。」


そういや親父は二浪目の秋から死ぬ気で勉強始めたらしいけど、その時もやっぱり父に『一生懸命やりなさい』って言われたんだとか。なんだか、命かけてやる、とか一生懸命やる。とかって言葉は小さい頃からどこでも聞かされていたことだけど、最近はそれこそが結局は全ての答えなのではないか、なんて。でも問題は、そういう風に熱意を持って出来ることを見つけられるか、ってことだとも。僕にとって命をかけて、一生懸命出来ることって何なんだろう。いい加減とハッタリで生きてきた僕にそんなものあるのだろうか。もし見つけたらその時は命をかけてやろう。


だったらそれってもう見つけてるのかも。どうだろう。分からないけどとりあえず、ベッドから起き上がる。