隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯67 全国大会の感想的な

この度、大橋は劇団しろちゃんとして全国学生演劇祭に出場してきました。楽しかった。昨年5月からずっと稽古してきた芝居を満を持し最高の舞台で披露できたことも最強にワクワクしたし、京都という場所に北大のメンバーで訪れられたという事実も個人的に胸に響いた。格別京都に思い入れが強いというわけでも無いのだけど。地元を離れ北大に入学してからしばらくは、「俺の精神はここにはない。俺のことを本当に分かってくれているのは地元の人々であり、札幌には現状を競い合う冷酷な敵しかいない」みたいなメンタルだった。大学のこれまでの4年間でその仲間たちに心を開いて、そして遂に地元に皆が来るっていうのは、なんか、最終回感があって良かった。3月でしろちゃんも卒団するし、本当に最終回ではあったんだけど。てか、そういやいつの間に心を開いていたんだ。


思い出に強烈に残りそうなイベントが死ぬほど立て込んでいた一週間だったけど、他のブロックの団体を観劇したことと、終演後審査員の三人の方としっかりとお話しできたことが印象深い。ちゃんとした視線で書けるか自信はないが、今回は他の団体を観させていただいた感想を書いてみようと思う。とりあえず最初はBブロックを。他にも色々あったことを書き残しておきたいが、特に需要も無いかと思うので割愛で。しろちゃんの出てるAブロックのfooorkさんとstereotypeさんだけ観れなかったことがとても悔やまれる。

 


Bブロック 楽一楽座「LIVED」

今回、大賞と審査員賞を受賞した作品。おめでとうございます。僕はゲネを観させていただきました。テーマは、自分を取り戻せ!というものだと理解。中二病や母親からの学歴コンプレックスを煽るような言葉、そして受験の失敗。失恋と、そのような出来事からくる自己喪失。優しくしてくれたゲイのママにもあんたは私たちと違うと言われる。最後は自分の中にある解放への衝動と対話し、薬物に頼らず安眠できる日を待ち望む、という筋だと理解。
針金で出来た人形たちのセットと、後ろのDJブースみたいなところにいる被り物に黒マスクを付けた謎の存在が、最初から異様でワクワクした。後半、後ろにいる存在が、主人公の心の中にいるおんがくんだと気付いたり、メトロノームが心音を表していたことに気付いたとき、ハッとさせられた。
ただ、せっかくあれだけの人形を徳島から持ってきて、さらに光らせるという事までするのであれば、話しかける以上にもっと色々な絡み方をしてみても良いのではないかなと思った。抱きつくとか、持ち上げるとか、人形の手を動かして喧嘩してるみたいな自演ぽさを出すとか。ただの僕の趣味の話だけど。
ストーリーの筋は、なんか教育に良いなって思った。嫌なこと→落ち込む→嫌なこと→落ち込む→治したくて頑張る、っていう流れが、優等生みたいだなって思ってしまった。あと中二病こじらせたりとか、好きだった女の子が腹黒で裏切られることとか、受験に失敗することとかって、別に田中真面目くんにだけ当てはまることではないと思う。僕も少なからずそういう思い出がある。そういう、言ってしまえばありふれた経験をしている主人公が、全くあり触れてない薬物とか、ゲイのママと暮らすっていうところに繋がっていくところがどうも腑に落ちなかった。ありふれていることをさも一大事のように騒ぎ立てると、わりと他人からは滑稽に見えると思うので、そこも、滑稽な話で終わらせるのか(それなら薬物とかは出さない方が…)、他人から見たら滑稽でも本人的には生きるか死ぬか、絶望か希望かみたいな深刻な内面の話をしていくのかどっちかに統一してみてても良かった気がした。

 

Bブロック ゆり子。「あ。東京」

今回、観客賞を受賞した作品。おめでとうございました。反抗か順応かという話だったと理解。東京、というゴジラみたいな物理的にヤバい奴が日本を襲撃している中、京都で生きる家族の顛末が描かれる。父親が死んでから東京にかぶれておかしくなった母親を、嫌いになりきれずも辟易としながら、京都府警に勤める彼氏を心の支えにして生きている女の子。しかし彼氏と母親の浮気が発覚、母親を殺して食べて、彼氏とも、お互いの指を食べ合う。そしてずっと望んでいた「一つになる」という理想を自分なりの形で提示出来た。が、東京が京都を襲撃し、ついに彼氏ともバラバラになってしまった、みたいなオチ。
めちゃ好きだった。東京、というゴジラみたいな奴が、マジョリティ、メインストリーム、正解、思考停止、没個性、死、など色々なメタファーを背負った存在として具体的に出てきたところが個人的な趣味として好きだった。殺した母親を食べたり、彼氏と指を食べ合う、みたいな行為をただのメンヘラの作品に良くありがちな展開でしょ、と考えるのは分析不足だと思った。あれは、メンヘラの思考というよりも、正当性から逸脱した愛の表現の仕方の象徴的な話であって、人を食べる事自体重要ではない。一般社会では異常とされるが、しかし思考停止に陥らず、自分達なりの愛の形を追求した結果である。それは暗に、用意された観光地や、大企業によって生産される愛の表現で満足している思考停止の群衆を批判している。その文脈で、この話はそういう大衆、抑圧の構造(東京)に順応して個性の死を受け入れるか、異常であることによって、その勢力に反逆するかという話だと考えた。
後ろに積み上げられるブロックみたいなやつは、最初は無秩序、無造作に思われたが、東京がそれらを破壊しきれいに並べかえて行っていたところから、この解釈はきっと作者の意図を汲み取れているのではないかなと少し自信がある(わかんないけど)。あの最初に積み上げられていたブロックたちは、均一化されていない無規則、だけれども自由である人々のあり方を示しており、それは同時に1000年の都である京都の街並みをも表現していた思う。京都は、京都学派から始まり、明治維新以降つねに東京と対置される存在であった。東大と京大の学生、学風の比べ方でよくみんながしがちな対比関係もそこから端を発しているのだろう。そのような前提もこの作品からは感じられたように思う。登場人物たちが、大多数に飲み込まれず思考停止せず生きていくことに命を懸けていたストーリー(結局飲み込まれたけれど)のメッセージが、まるまんまこの作品の作者の京都で芝居を続けていってやるみたいな、決意表明に思えてきたのも、何だか胸アツである。
字幕も、不要だったとよく言われているけど、僕はああいう字幕好きだから気にならなかった。あと母親食べるところでトマトを食べていたのが良かった。赤いもの食べてるだけでも結構ウッてなったけど、何よりも衝撃的だったのは、客席にトマトの瓜臭い匂いが届いてきたことだった。打ち上げで聞いたら狙ってなかったと仰っていたが、あれは個人的に全く新しい体験だった。嗅覚!観客の嗅覚に訴えてきやがった!みたいな。嗅覚を使った演出ってみんなどれくらいやっているものなのだろう。少なくとも僕の少ない劇体験の中では初だった。あの瓜臭さのおかげで、人を食べているというシーンがとても妙にリアルで、エグく、緊迫したものとして伝わってきたように思う。良かった。


長くなってしまった。Bブロックは二作品だが両方とも考えたり分析し始めるときりがない作品で興味深かった。お疲れ様でした! 時間が出来たらCブロックの感想もまた書きます。

 

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