隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯57 どこから来たのか

いま着ているコートはとてもあったかい。去年の冬の始めに大阪のエキスポシティで買ったやつで、めっちゃ高かった。長く着るつもりだけど今はまだまだ新参。

いまかけているメガネは汗でよくズレる。前までかけていたメガネは軽井沢の温泉に入ってる最中にパキッと折れてしまったので無念ながら。買うとき時間がなかったため、フィットを確かめず買ってしまったためあまり馴染まない。

いま使っているスマホは二代目。前に使っていたスマホは高校2年から大学一年の二月まで現役だったけど、夜通し充電しても瞬時に20%まで減るというカルマに加えついに充電器を感知しなくなったため降板。愛着から前と同じ色を選んでしまったり、少し傾きだしていたシャープの製品を選んでしまっていたりと散々だがもうすぐ丸2年。水没を二度経験しながらも元気。

考えてみたら、今僕の身の回りを占めているもので、五年や十年現役で活躍し続けているものってあんまりなかった。体の細胞は一定期間で全部入れ替わってるというけれど、そんな感じかな。その分、それがどのような経緯を経て今僕の手元にあるのかよく覚えている。きっとさっきの調子で今持っているものがどこからどんな風に来たのか、全部説明できると思う。

僕自身はどうだろう。父と母の一対の細胞から増えて増えて増えて、そして僕の体は僕がこれまで食べてきた食べ物と飲んできた飲料で出来ているだろう。でもそろそろバンクーバーに乗っ取られてそうだな。じゃあ僕の心はどうなんだろう。と言うと、これまで僕が見てきたもの聞いてきたもの触ってきたもの嗅いできたもの味わってみたもの、インプットしてきたもので出来ているだろう。でもさすがに22年目になると、今の僕のこのポリシーがいつのどんな経験から形成されてるのかとか、あいつとそりが合わないのは過去のどこに原因があるのかとかはもう分からない。分からないけど、きっとそういう経験は「しわ」になっていく。眉間のしわ、目尻のしわ。ほうれい線。ものの場合は埃。埃は誇り。

自分に当てはめて十分考えたら、次は他人について考えてみよう。街を歩く。いろんな人とすれ違う。特にここはバンクーバー。変な人も関わりたくない人も煙たがられてる人もたくさんいる。みんな、今僕が自分の目を通して世界を見ているように、世界を見ている。つまらなそうにバスの運転をしている人がいる。つまらなそうだ。でも彼にも大笑いをしたことがあるだろう。いま着ている服はどこでどういう経緯で買ったのか、なぜ今バスの運転手をやっているのか。そもそもどうしてバンクーバーに来たのか。僕が知ることは無いけれど、聞けばきっと全部答える。道端で薬をやっているのか、ヘラヘラ笑いながら何かをしゃべっている人がいる。寝そべっている。でも彼にも本気でこの人を守りたいと思ったことがあるんじゃないか。いつどこで生まれたのか。少年期の一番の思い出は?いつどうしてドラッグに手を出したのか。いかなるストレスが彼をそこに追いやったのか。彼の身を案じる人間はこの世のどこかにいるのかいないのか。聞けばきっと知っている。そして答える。

殺人とは単なる命の強奪ではない。歴史の蹂躙である。小学生時代地元の絵画コンクールで銀賞を取ったとか、中学で好きな子がいたけどついに話しかけられず卒業したとか、自分より自分のことを知ってるような親友としのぎを削りあった学生時代とか、改めて四六時中話すわけでもない歴史の全てを踏みにじる。裏を返すと、思慮もなく他人の歴史を侮辱するような行為が殺人と蔑むべき対象なんだ。

誰かがここに置いたからそれはここにあるのだし、誰かが持っていってしまったからここにはもうそれはない。ここに何かがあるなら誰かがどこからか持ってきたはずだし、その「どこか」も、別のどこかから持ってこられたからそこにあったわけで、その「どこか」は必ずどこかにある。そして、僕は今ここにいて、誰かが僕をどこかへ連れていく。それは僕だ。