隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯50 敗北のワームホーム

過ぎた日を偲べば、愚かなことばかりやってきた。人の目も気にしたし、体裁だけを守ろうとした。なりたい自分になろうと思って、柄にもないことを言ったりもした。だけど変わったのはうわべだけ。僕の全ての選択を司るこの核的なところは十代を終えてすっかり固まった。意地汚い心から未完成な邪悪さまで、隅から隅の僕の中の有象無象がそのままの形で凝固した。まるで作った紙粘土の駄作が改良を渋る間に微動だに出来なくなったように。まるでやって来た冷風が瞬時に世界の全てを凍てつかせてしまったように。僕の心はがんじからめになった。そんな類いの絶望こそが僕の動きを封じていることに気がつきながらも、頭をもたげる思考は続く。

幸せとは一体何であるのかとか、そんな偉そうな難問に輾転反側する夜もあった。馬鹿にされ、もっともな批判にさらされ時に分別なき非難にもあった。惨敗を恐れ捨て台詞ばかりが磨き上がった。今すぐ出向いて殴打したい顔面ばかりが浮かんでは罵詈雑言を吐く。敗北がかくも全身から気力を奪ってゆくとは思わなかった。惨めにさらされ、流言飛語に行ったり来たりして、中立を装う糞連中の薄ら笑いが夜を憂鬱にした。諸君、負けてよいと思った敗北は敗北ではない。勝たねば明日が見えない局面こそが真の敗北の出る幕となる。敗北とはすなわち圧倒的敗北。そして僕は負けた。

空の青さが気に入らなかった。弱れば手が差しのべられるなんていうのは争いにおいては虚言だ。目は口より物を言う。百の暴言より一瞥が心を切り裂くことがあるのだ。バラバラになった心はどう癒せばよいのだろう。今もフラッシュバックして業煮やす。一試合10個以上のエラーと全ての打席を三振。ついに交代しベンチに下がったときの安堵。僕が本当にやりたかった野球はこれじゃない。負けるくらいなら勝つために努力するなんて根性はない。ならば初めから勝負なんてしない。勝てるまで舞台を変え続けて変え続けて。自分はついに変えれないことに気づかされる。

やがて来るほろ苦い終末までの旅路は時空を越えて、姿を変えて道具を変えて声を変えて態度を変えて、必ずやって来る。死がこの下らぬいたちごっこを止めるまで。

誰か分かるかなあ。分からないだろうなあ。白球を追いかける頭でっかちな少年よ。