♯39 『ウソをつく』コツは『ウソをつかない』ことなんじゃないかって話
日常生活に欠かせないウソ。美味しくない料理。似合っていない服。見栄を張りたい心。サボりたい気持ち。あらゆる事象があなたにウソをつくべし、とささやいてくる。素直なことはそれは素晴らしい。といいつつ素直だと思ってるあいつだってきっと何百回とウソをついてここまで生きてきてる。ともかく、病的な例は除くとしても、ウソをつく能力というのは時に人生を順調にしてくれる。英語にも「white lie」って概念があるわけですし。
御託はいいとして、僕が最近思うのはこれです。
【ウソがバレるのはウソをついている人にその自覚があるから】
朝起きた。眠い。休みたい。仮病使ったれ。
『おかん、今日ちょっと風邪気味やから休むわ。コホンコホンゲホッ』
『あらあんた。昨日の夜は元気やったやん。熱測ってみい』
ピピピ
『(36度5分…)37度5分やー』
『あらあ熱あるねえ。でもあんたその割にさっきからちょっと元気ちゃう?学校行き。』
僕が思うにこの仮病を失敗した原因はひとえにただ一つ。『本当は元気だったこと』である。だから行動の一つ一つに隠しきれない元気オーラの微粒子が含まれ、それとあいまって何とも歯切れの悪い問答になってしまう。ならば話は簡単である。これを解消するにはどうすればよいのか。原因が分かれば対策は容易である。本当に風邪になってしまえばよい。言うなれば、
【ウソをついていなければウソはバレない】
なんて簡単なのだ。ウソをつくとは。本当のことを言っているのだからバレるはずがない。ていうかバレるって何がだよ。何も無いよ。ウソをついている自覚もない。本当だから。一つ一つの行動には拭いきれぬ「本当に風邪」の微粒子が含まれ、何を聞かれても想像でなく記憶で話すので目の動きとか手の動きとか、そういうつまらん心理学によっても看破されぬ。まさに完全犯罪。
ところがどっこい風邪はなりたいと思ってなれるものではない。完。ところがウソの理想形を想像し得た我々にはもう怖いものはない。ここで重要なキーワードは『誇張』である。
朝起きた。眠い。休みたい。仮病使ったれ。あ、そういや昨日の夜ゲームしすぎていまちょっと頭痛いな。あれ使ったれ。
『おかん、今日ちょっと風邪気味で頭痛いから休むわ。』
『あらあんた、昨日の夜は元気やったやん。熱測ってみい。』
ピピピ
『36度5分やー』
『あら平熱やん。学校いけるわ。行き。』
『いやでも昨日の夜からめっちゃ頭痛いねん。』
『どんな風に痛いん』
『なんかガンガンする。』
『昨日のいつからや』
『10時くらい。なんか頭痛止めあったっけ』
『おじいちゃんの部屋のクローゼットん中入ってるわ。』
『おっけー。』
この場合も、風邪をひいたいうことは自覚のあるウソにしろ、頭痛という一部分では本当である。それによって、いつから、どんなという、ウソであれば高度な想像が必要とされる瞬間でも一瞬で対応することが出来る。事実を述べるだけだから。結果その一部分の信用に引っ張られ、風邪というところさえも自然と相手に本当であることを強調できるのである。なんという戦略的勝利。なんというクズ。
【一部分でも本当であればおのずと全体のウソも疑われにくい】
誇張である。『本当はやってもいないパーティに10人来た』というより『本当は5人しか来てないパーティに10人来た』という方がバレにくい。
この巧妙さを駆使すれば、基本的にどんなウソにも真実を交えることが可能だ。
『(うわ、この人この服似合ってない。でも色はそんなに間違ってない、むしろ合っている)似合ってますね!』
『(うわ、このナポリタンしょっぱ。でもパスタのゆで具合はちょうどいいな。)めっちゃおいしい!』
『(ここでぶちギレなきゃいけないのか。そういやこないだ隣の家の音楽うるさくて寝れんくてめちゃムカついたな)くそが。しね!!!!』
悲しいかな。人が興味あるのは本当のことだけ。だから本当のことを言おう。やろう。
ウソはついてなければ、バレない。