隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯27 8411回目の午前11時44分

朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、髭を剃って、気がつけば午前11時44分を過ぎていた。休学中は時間に制約されることが少ないからあまり時計を見なくなった。

例えば一年前の今日の午前11時44分は何をしていただろうと考える。確かこの時期は大阪の実家でダラダラしていた気がするから、おそらくベッドで眠りこけていたのだろう。

じゃあ二年前の今日の午前11時44分はどうだろうと考える。確か9月から免許合宿に行くからこの時期は札幌にいた。何か有意義なことをしていただろうか。

ならば三年前は?四年前は?十年前は?二十年前は?昨日は?一昨日は?一昨々日は?

同じ時間は来るはずがないのに人間はそれを区切った。繋げて丸めて循環にした。だから本来今しかないはずの「今」と、それと比べる「今」を考えつくことが出来る。比べられる。比べられる。優劣をつけられる。なんて科学的!

そして苦しめられる。時間と共に何もかもが変わっていく世界で、何度も何度も何故か同じ午前11時44分を経験している。僕の変化は成長か退化なのか。成長していないなら人の存在意義はどうなっていくのだろう。24時間前の午前11時44分より有意義に生きねばならないという声がする。でもそんなことは出来ない。

昔予備校の数学の先生が、人生は三角関数のように浮き沈みをするもんだと言っていた。三歩進んで二歩下がる。しかし同じ二歩にしても下がり方というものがある。前よりも機敏に、獰猛に食い下がれるだろうか。そんなこと考えたらおちおち下がっていられない。

そして進んでいるときに僕と出会い期待した人にはどう顔向けしよう。厄介なことを考えてしまうものである。腕が落ちたと言われる。牙を抜かれたと言われる。変わってしまったと言われる。失望される。いずれは老けたと言われる。見放される。いたたまれなくなる。下がっているときに僕と出会い見下した人にはどう手向かおう。本当の僕はこんなもんじゃない、なんて虚しいことを言ってしまうのだろうか。

24時間前の午前11時44分の自分の無意識の渾身の改善策が、24時間後の午前11時44分の今の自分に花開いている、なんて。なんて進化論。

8411回目の午前11時44分。24時間後8412回目の午前11時44分。十年後12063回目の午前11時44分。何回も何回も何回も試されて試されて試される。



8月29日。是非試しに来てください。