隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯2 ことばを友人に

『どこでもいいから遠くへ行きたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ。』

これは寺山修司の「煙草」という詩の文である。最近私はよくこのことばと共に生きている。思えば幼稚園児の時は小学生になれば友達がもっとほしいと願い、小学生の時は中学校ではもっと難しい問題を解けるようになりたいと願い、中学生の時は高校では素敵な恋愛がしたいと願い、高校生の時は大学では時間と体力の許す限り旅に出たいと願って生きてきた。おそらく人により程度の差こそあれ、大学に対し大いなる「自由」への期待を膨らませた人は多いのだと思う。

しかし蓋を開けてみるとそうすぐ実現しないものである。体力があっても時間がないし時間があっても体力がないということになる。この二つを揃えることは至難の技であり、まさにその二つを手にしまだ見ぬ世界への不安にうち克ち、旅立つことは確かに天才の所業と言って過言はないだろう。天才は言い訳しないのだ。

ちなみに表題の「ことばを友人に持ちたい」というのも寺山修司のことばから引用させていただいた。自分のせいでどうしようもない失敗があったとき、夜に孤独を試されたとき、先人(に限らず)のことばというのはとてつもない頼りがいのある友となると思う。それで言うと冒頭のことばは私の無二の友人である。そういえば古代のインドの思想での真理に「梵我一如」というものがあるがこれももしかしたら同じようなことなのかもしれない。すなわち、古今東西を問わず自分は(自分の置かれている状況は)一人ではない、ということである。

「友」を「孤独から救ってくれるもの」であると定義したとき、一体どれだけのものに親愛の眼差しを向けて生きていけるのだろう。(コラムって『である調』じゃね?!ということに気づきました。)