隔日おおはしゃぎ (Road of座)

Road of座(ロードオブザ)の代表大橋拓真が、ほぼ隔日でコラムを書くところ

♯54 瞬間という魅力

眠る瞬間を感じたい。日の出の瞬間が見たい。南中の瞬間も見たいし、日が赤くなる瞬間も見たい。そして太陽が水平線に沈んでいく瞬間。

賢くなる瞬間を感じたい。記憶した瞬間を感じたい。背が高くなる瞬間を感じたいし、体重が増えた瞬間。視力が0.1悪くなる瞬間。耳が遠くなる瞬間。髪の毛が長くなる瞬間。音階が上がった瞬間。何かに慣れた瞬間。何かが変わった瞬間。成長した瞬間と劣化した瞬間。

瞬間は瞬く間と書く。人は瞬きより早いものを認識できない。確かに目の前で起こっているはずのことなのにそのリアルを感覚で感じることが出来ない。

目には分解能という限界がある。人はあまりに微少な距離は認識できない。確かに動かしたという実感と、認識できないその距離の不協和が明日の景色を曇らせる。

要するにそれが原因だ。人は絶対的には変化しているはずものを変化していると認識できない。機械にここまで信頼を置くこの時代なのに。興味深い錯覚を体験しては感覚器官の不完全さを学んでいる我々なのに。

だからその変化をつかむには「瞬く間」が積もった十分な時間が必要だ。我々の分解能が認識できる距離を生み出すような大雑把で無粋な時間の束が。瞬間というロマンと人のエゴで要請される暴力的な時の束。

今日は久々の人と会うことになる。瞬きより早くて分解能より小さな僕の変化をあなたに捧げる。気づいてね、ぜひぜひ。

♯53 今日はおしばい

今日は記念すべき海外初舞台出演ということで朝からむずかゆい期待にとらわれております。小さくてもこれが僕の初めてで、それが終わったら今日はもうおしまい。一人でなんでもしていい舞台は好き。他人を信じる必要がないから。自分の気持ちさえ持っていくことが出来ればうまくいく。それも難しいんだけど、不確定要素が少ないのはうれしいね。

ただいつもと勝手が違うのは全部英語なところだね。しゃべる言葉全部英語でやらなきゃいけない。とても難しそうだ。KILL BILってあったよね。「ドウヤラ、ウワサガヒトリアルキシテルミタイダネ!」「マダオワッチャイナイヨ!」たぶんネイティブからするとあんな感じに見えるんだろうな。あれはあれでシュールで面白かったけれど、未知の感想を抱かれる可能性というのは怖い。まあ本当に小さな寸劇だから緊張もへったくれもあるまい。演技良かったねとかうまかったよりも前に声大きかったねというreviewをいただけるよう思い切りよくやろう。前にネプチューンのホリケンが他の芸人へのアドバイスで思いきりよくね!といってたことがやけに印象深い。あの人も本当にその言葉一本で芸能界を渡り歩いてそうだもんね。

役はというと、欠席の生徒の安否を忙しくて確かめなかったらその生徒が誘拐されて殺されていて、それを後悔しているというやつ。ひねりはたぶんいらない。そうじゃなくてもドン引きされそうなのに。全くどうなるんだろう。ていうかクラスメイトの僕に対するフェイマスアクターの誤解を早く解きたい。完全に誤解されとる。誤解されたまま真実になんねーかな。

最近ネットフリックスばっかり見ているところを利用してアドリブぶちこんでこう。気がかりは共演者と意思疏通が出来ていないことだけどもう気にしない。

あーあ。バンクーバーに来てまで今日はもうおしばい。

♯52 ある風景

この一年は本当に奇妙であったとつくづく思う。何をしたかと問われると、何もしていなかったのかもしれない。もといた場所に一年をかけて戻ることに盛大に労力を使っているという表現が最適である。

先日は我がホストマザーの記念すべき誕生日であった。彼女は子どもをたくさん持っていた。が皆それぞれの家庭へ巣出っていっている。そういえば夫を見たことがないな。怖くて聞けないけれど。彼女の長い歴史にはきっと色んな誕生日の記憶があるのだろう。愛する人と過ごしたロマンチックな日もあっただろうし、子どもが家中走り回ってろくに浸れなかったこともあったろう。人はみな、年を取るごとに否応なしに時の厚みを増していって、かけがえのないその人だけの人生を形成する。僕はそんな深遠な営みを尊崇し、かくも厳かな神域があるのだと痛感するのである。そして今、その領域に属するどこの誰だか分かったもんじゃない日本人の僕と、ベトナム人と韓国人の面々。なんとも興味深い因果であるかな。

食卓は思いの外いろいろな話題で盛り上がっていた。彼女のスマートフォンからはジョンレノンが流れていた。イマジン。遠くの居間ではつきっぱなしのテレビがニュースを伝えている。北の方で雪が降ったらしい。いつもより豪華な夕食に無言で食べ続けるキャロライン。ユーチューブの自動再生で曲が変わる。ビリージョエル。ピアノマン。水を取ってというオリビアの声に僕とホストマザーのヴィーダが反応して、結局僕が取る。

おい若いの、あの思い出の一曲を弾いてくれないか。もうどんなんだったか覚えてもないんだけど。でもなんだか悲しくて、甘いやつなんだよ。若いときは全部歌えたんだがな。

何気なく、この曲弾けるんですよって言ってみた。反応のよい一同。フォークが皿に当たる音。椅子の軋み。さっきより強くなった風の音。こんな良い日が日本にあるものかと勝手に日本へ責任転嫁してみる。

弾いてみてよ

ヴィーダがそう言う。ピアノならうちの子どもが小さいときに弾いてたやつがあるからと。もののはずみで言うんじゃなかったと後悔する。前は謙虚に振る舞いつつその実は自分をひけらかしていた僕だが、ここではなんだかそんなことはしたくない。ここではこの荘厳な空間を自らという物からさえ脱皮して浸っていたい。ありていに言って僕はもう例え数人の前にでも出ることが嫌になっていた。目立たないように集団に没入し、暗がりでどうでもいいことを永遠に考えていたくなっていた。

だがほこりまみれのピアノは既にテレビの下から引っ張り出され、みんな電源がついたと喜んでいる。空気は読まなければならない。どこからともなくやってくる椅子。座って白と黒の鍵盤を凝視する。思えばピアノは僕にとって自己満足の象徴だったように思う。大して腕もないのにな。ピアノは小さくておそらく一緒に出る音の数も限られている種類であろう。本番前の、逃げられないぞという時に感じるあの全身のピリピリ感が全身を電流のように走り抜ける。この電流は顔を熱くして末端を冷たくするくせ者で、また謎のシステムによって尿意さえも促進するやつだ。

しかし、僕は実はそれが好きだった。コレだよ、コレコレ。コレがないと。全く何も展望がないときでさえ不思議と僕は本番前はワクワクが止まらない人種であった。そして今回もそれだった。ニヤニヤしながら弾き始めた。

弾いてるときは無我夢中でなんなら歌っていた。気がつくとみんなこっちを見てて、温かな拍手が生まれる。すごいよ。とか。隠してたのね。とか。ブラボー。とか。ちっぽけな誕生日会の、数人の拍手と称賛の言葉を浴びる。ちっぽけなのに、僕が生まれてからずっと求めていているものは本当に、ただ一つ、これだった。振り返ってみると、僕はいつも全くブレないでこれだけが欲しかったんだ。もしこれがないなら。これを対価として得られないのであれば。僕はアマゾンにでもサハラ砂漠にでもレイキャビクにでも行ってのびのびと生きる。これ以上、見たくない顔面と駆け引きする必要もない。運良く英語もしゃべれるようになるのだし。

ってそんで、お誕生日おめでとうってその中で言ってみたらカッコつけすぎて照れたっていう話。

♯51 The U.B.C hitchhiker

これは、僕の友達のいとこの隣人の愛人が言ってたことならしいんだけどね。昔バンクーバーヒッチハイクしようとした女の人がいたんだって。行き先はU.B.C。ブリティッシュコロンビア大学だね。その日は雨で、その人はずぶ濡れになりながら車を止めようとしていた。ある親切な人が途中までは送ってくれたりして、あと少しだったらしいんだけどそれからが捕まらない。どの車も過ぎ去っていくばかり。

で、そんな中ある人がその女性の前で車を止めた。乗せてくれたんだね。女の人はお礼をいいながら車に乗り込んだ。でもそれは悪い人の車だったんだ。ドライバーはその女の人を殺して見つからなそうな道に捨てた。警察も家族も彼女を探すが見つからない。彼女は今亡霊となってバンクーバーをさまよっているらしい。

この亡霊と言うのが今もバンクーバーの市街地でヒッチハイクをやってるらしい。言い伝えとしては、絶対にこの女性の前で車を止めてはいけないらしいよ。殺されるんだって。簡単な避け方だね。でも恐ろしいことにこの女性はバスにも乗ってくるらしい。この女性と言うのはドライバーにしか見えないらしくて、もしあなたが乗ってるバスが誰もいない誰も降りないバス停で止まってドアを開けていたら、ドライバーにしか見えないその女性が乗り込んできてドライバーや乗客を殺すらしい。

恐いね。恨みを晴らすならその殺した人にだけ行ってほしいよね。完全に八つ当たりじゃんか。第一傘を持ってなかったのも悪いし、買えば良かったのに。ていうかヒッチハイクというのが、もう。Uberでタクシー呼べよ。僕も今年中に用賀にでも行って大阪までヒッチハイクでもしようかと思ったこともあったけど。バイクがどうしてもあったからね。バイクを置いてヒッチハイクしちゃったらまた取りに来るときにヒッチハイクしてこなきゃいけない。いや、そこは他の交通手段があるな。とにかく、僕が言いたいことは、世間知らずであることと勇敢であることを区別できない幼稚さは、命を奪うゾってことだね。外国に来て気づいたよ。これまでの僕は勇敢だったことなんてない。ただ、何も知らなかっただけなんだって。勇敢なものは恐怖したことを否定しない。コレだね。

だから気を付けてね。

♯50 敗北のワームホーム

過ぎた日を偲べば、愚かなことばかりやってきた。人の目も気にしたし、体裁だけを守ろうとした。なりたい自分になろうと思って、柄にもないことを言ったりもした。だけど変わったのはうわべだけ。僕の全ての選択を司るこの核的なところは十代を終えてすっかり固まった。意地汚い心から未完成な邪悪さまで、隅から隅の僕の中の有象無象がそのままの形で凝固した。まるで作った紙粘土の駄作が改良を渋る間に微動だに出来なくなったように。まるでやって来た冷風が瞬時に世界の全てを凍てつかせてしまったように。僕の心はがんじからめになった。そんな類いの絶望こそが僕の動きを封じていることに気がつきながらも、頭をもたげる思考は続く。

幸せとは一体何であるのかとか、そんな偉そうな難問に輾転反側する夜もあった。馬鹿にされ、もっともな批判にさらされ時に分別なき非難にもあった。惨敗を恐れ捨て台詞ばかりが磨き上がった。今すぐ出向いて殴打したい顔面ばかりが浮かんでは罵詈雑言を吐く。敗北がかくも全身から気力を奪ってゆくとは思わなかった。惨めにさらされ、流言飛語に行ったり来たりして、中立を装う糞連中の薄ら笑いが夜を憂鬱にした。諸君、負けてよいと思った敗北は敗北ではない。勝たねば明日が見えない局面こそが真の敗北の出る幕となる。敗北とはすなわち圧倒的敗北。そして僕は負けた。

空の青さが気に入らなかった。弱れば手が差しのべられるなんていうのは争いにおいては虚言だ。目は口より物を言う。百の暴言より一瞥が心を切り裂くことがあるのだ。バラバラになった心はどう癒せばよいのだろう。今もフラッシュバックして業煮やす。一試合10個以上のエラーと全ての打席を三振。ついに交代しベンチに下がったときの安堵。僕が本当にやりたかった野球はこれじゃない。負けるくらいなら勝つために努力するなんて根性はない。ならば初めから勝負なんてしない。勝てるまで舞台を変え続けて変え続けて。自分はついに変えれないことに気づかされる。

やがて来るほろ苦い終末までの旅路は時空を越えて、姿を変えて道具を変えて声を変えて態度を変えて、必ずやって来る。死がこの下らぬいたちごっこを止めるまで。

誰か分かるかなあ。分からないだろうなあ。白球を追いかける頭でっかちな少年よ。

♯49 なぜ日本人の英語はダサいのか

ときどき、英語でディベートをやったりする。バンクーバーの学校にはブラジル人が多くて、次にアジア人。日本人、韓国人と台湾人。中国人は学校にはあまりいない。街にはたくさん。たまにスペイン人やドイツ人、フランス人。シリア人とも少し話した。ディベートは普段の会話以上にとっさの反論と自己主張が必要となる。ユーモアはあればあるほど良いが、良質な意見ありきである。

ディベートが行われるとしばしば日本人は何も話さなくなる。ダサい。先ほどの休憩時間まで日本人同士で日本人同士にしか通じない英語で盛り上がっていた彼らが、先生の「Go ahead」の号令と共に一様に口を閉ざすのである。なんかダサい。残るのは他の国の人々の活発な意見論争。「How about you?」と聞かれて5秒黙ったあと彼らが発するのは「I think…」「I think so」「I don't know」ちゃんとした意見も持ってないのに話のリズムを崩すなと言わんばかりの他の面々。ダサい。そのうち耳まで真っ赤にした哀れな日本人はうわ言のように「sorry…sorry」などと口走るから火に油。ダサくて見てられない。あれ、これ俺じゃん。

しかしこれは僕の周りだけ見てもそこかしこで見受けられる現状だ。日本人の英語は何かまどろっこしくて、聞くに堪えない。なんかダサい。何故だ。そう言えば、前にもこんな議論を書いて、その時は僕が英語をうまく話せない原因は「話すことがない」なのではないかとしたが、ここでは勇気をふりしぼり「日本人」という、より大きなくくりで考えてみることにする。

さて、ここで一つ確かめなくてはならないことはこれである。

①このダサさは日本人にのみ当てはまるのだろうか

僕の見立てによると韓国人、台湾人にも当てはまる。だが学校ほぼ全ての日本人にこれが当てはまるのに対し、この二つの国には当てはまらない人もしばしば見受けられる。ここで例えの対照としてブラジル人を引き合いに出してみる。僕の見る限りブラジル人でこれが当てはまる人は見たことがない。よって次の疑問はこれである。

②日本人はブラジル人より英語の知識を持っていないのか

興味深いことに、それがそうでもない。文法、単語、頻出フレーズといった、しばしば話すのに必要だと断じられるこれらの知識においてはこの二つの人種の間にそう大きなギャップはないように見受けられるのである。むしろ筆記においては日本人が得意とするところで、これが災いして能力以上のクラスに振り分けられる悲劇がたまに起こる。

日本人の英語がダサさが知識不足によるものではないことは再三明らかにしてきた通りである。ここからがなかなか説得力ある説明ができない部分であるが、発想を逆転させてみよう。つまりなぜ日本人の英語はダサいのか、ではなく「日本人と例えばブラジル人の話し方にはどんな違いがあるのか」これを観察する必要がある。重ねて言うように、英語知識の習得量がほぼ同一な日本人とブラジル人を対象として考えている。一つ目がこれである。

①ブラジル人は日本人より話したいことがはっきりしている

前の結論の通りである。話始めてから口を閉じるまで、彼らは日本人より話す内容に迷いがない。僕の見立てによると、日本人はみんな自分が話す際に迷いを感じている。「自分がしゃべっていいのかな」「水を差さないかな」「しゃべるとしたら間違いを犯して笑われないように」「自分の英語は通じているのかな」等。「いや日本人でも人によって違うだろ」という意見が当然出てくると思うが、これは少し的外れであると言ってしまおう。何故ならこのような迷いは日本で「空気を読む」「社会性」「協調性」「でしゃばらない」と呼ばれているものだからである。確かにこれらの能力は人によって違うが、小中高大とひたすらこれらを美徳と叩き込まれる教育を義務として受けねばならない日本人はやはり他の国の人々と比べると圧倒的に全員均一にこれを持っているのである。反吐が出る。

②ブラジル人は日本人よりも思考が英語に直結している

英語を話そうと試みる日本人はおそらく「言いたいことを決める」→「日本語でその文章を整える」→「一つ一つの部分を文法、単語を思い出しながら英訳する」→「話す」というステップを踏んでいる。日本人にとっては英語を話し出すというのは何とも大変な作業なのである。話すまでに4つもすることがあるから。不器用な人であれば、まるで高校の英語のテストの英作文のような意識でそれをするからさらに骨が折れる。そもそも日本人にとって英語は勉強であるという意識が根強い。ここから、日本人は思考と実際に口から出る言語が乖離していると言うことが出来る。これに対してブラジル人は見たところそのようなステップを踏んでいない。僕はブラジル人ではないので本当のところは分からないが(これ書く前に聞けば良かった)思考とが英語により近く結ばれているのではないか。例えば「Oh my god」という感嘆文を挙げてみる。いくらかの日本人は英語を話している感を演出するためときどきこのようなことを言うが正直言ってはたからみてものすごくダサい。この類いの感嘆詞を話す際の日本人がもっともダサいといって過言ではない。それに比べブラジル人の「Oh my god」のなんと自然なことか。これは何が原因かというと、おそらく日本人は感嘆したとき心の中でまず「すげえ!」「マジかよ~」と既に言ってしまっているのである。そのあと、自分のその気持ちを表す言葉として「Oh my god」と言っているのだ。しかし想像に難くないようにこのような感覚の言葉は論理性と恐ろしく相性が悪いため、結果として何とも居所の悪いものになってしまっているのである。脚本のセリフをうまくいい感じのニュアンスで読めない原因と少し似ている。ではなぜブラジル人が日本人より思考が英語に近いのだろうという疑問がわいてくるが、これはやはりブラジルの方が日本より英語圏文化への距離が近いからではなかろうか。これは手垢の付いた推測であり、ここではその手垢以外の証明の手段は割愛するが大方検討外れではないように思える。

③ブラジル人は日本人より英語を話すより使っている

これもそう真新しい話ではない。が、しばしば真新しくない議論は内容が空洞化して、いざその内容を密にしようとすると何も語れないという事がある。学びて思わざればすなわちくらしという孔子の言葉はそのようなことを表しているように思う。話が逸れたが、簡単にいってしまえばこれは「英語は手段か目的か」というものである。このような言い方をすると大抵の日本人がこぞって英語は手段であると主張するのであるが、こと実際に英語を話す段になるとそんなことをすっかり忘れてしまっているのである。少し誤解を恐れず言ってしまうと、ブラジル人(というかネイティブ)が「意見→英語」という順序で英語をとらえているのに対し、日本人は「英語→意見」という順番で言語をとらえてしまっている。しばしば日本人は英語を話すということをそれ一つの独立した能力としてとらえがちであるが、それは実際は「何としてもこの意見を伝えたい」とか「表現の仕方は分からないがもし伝われば必ずある程度自分の意見は評価されるはず」というような強いコミュニケーションへの意欲があってこそのものであり、能力というよりあくまで日々のコミュニケーションの延長にあるものとしてとらえた方がいい。また話すか使うかという問いは他者がいるかいないかというふうにも言い換えられるのではないか。英語を「話し」ている人にとって重要なのは自分が英語を話していることであってしばしば伝わっているかどうかでない。対して英語を「使っ」ている人にとっては伝わっているかが重要であって自分が英語を「話し」ているかは些事なのだ。日本人がもし話すより使うという認識に改めれば、ノロノロと自分が話せているかを確認するようなコミュニケーションに邪魔なタイムロスは省かれるであろう。そしてそのノロノロこそが日本人のダサい英語の最大の特徴である。


長くなったが、以上がなぜ日本人の英語はダサいのかについて考察した結果である。あらゆることに形から入る僕からするとこのような問題が目下一番大事なところなので、日々こんな感じで考えている次第である。英語においては「流暢」の対義語は「ダサい」なのではないか。思えば僕は自分がこうなりたいと思ったものを模倣し、たまに入れ込みすぎてよくわからない感じになりながらここまで生きてきた。中学生の頃に執筆した暗黒の厨二ノートがその典型であろう。しかし合気道に見取り稽古があるように、見よう見まねというのは古来より最も重要な習得手段とされてきたものである。教えを請わなければ正しく習得できないというならば何においても何かにおんぶにだっこになってしまう。演出から指示がないと何もできない役者のように。

♯48 11月のタンゴ

・「今年もSeptemberを9月に聞き忘れた」と思う11月

・一月が31日じゃない月の覚え方の「西向く侍」の侍がピンと来ない11月


そんな11月がついに始まりました。僕はというと風邪をひいて一日中部屋に引きこもっております。全くもって不毛。充実させるべき時間を充実させず消化させてゆく感覚というのは「やっちまった奴」にのみ与えられる特殊な経験であり、とてもつらい。「この経験は人生順風満帆な奴には一生わからんだろうねアハハ」もよし、「何もしないということは何もしないなりの独特の歪みを得ることができる」もよし、「何かをしてるように見えるやつは正直言って何かをしてるように見えているだけ」もよしである。「どいつもこいつもどんどん何かをして前に進んでおり、よりによってあんな歯牙にもかけなかった無能が遥か先にいる現状、俺は何て仕方ない人間だ」これはやめておいた方がいい。虎になる。

・「今年もSeptemberを聞き忘れた」と思うのは11月だが、そう思える期間は10~12月だけである。つまり、錯覚。

・「11」はよく見ると確かに西向いてる寂しげな男に見えないこともない


「太平洋を真ん中に置いて横長に「3」を書くと面積の広い順になる」これを教えてくれたのは中学の社会科の先生だった。いい先生だった。「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」を答えた僕に拍手を送ってくれた彼。放課後体育館の演壇の上で踊りまくっていたときにちょうどやって来てしこたま怒鳴ってきた彼。語尾に「ネ」をつけまくることから誰かに授業中の「ネ」の回数を数えられていた彼。先輩が体育館でぶっぱなした消火器の粉を「蹴っ飛ばしたら出てきた」という謎の言い訳で納得して一緒に掃除してくれた彼。部活中に裏に流れる川をひたすらたどっていたら戻れ!と言いながら自転車で追いかけてきた彼。いい先生だった。

それにひきかえ、高校二年の時の担任! 是が非でも授業中のネックウォーマーを許さぬ論陣。「ほんまに留年させんぞ」必殺の殺し文句。ボケーっとしてたら「授業中ボケーっとするな」という過激派。「さしすせそ」が「シャシィシュシェシォ」になるお茶目さ。「麻薬ダメ絶対」の講演で友達に麻薬を勧める役をしていたヘビースモーカー。「実家通い」とおちょくってたのにこないだついに結婚した幸せ者。でも提出物を休日に万博まで持ってこいというのは暴挙。持っていかなかったけど。


11月は早くも一年の終わりを感じさせる。みんなその一年を振り返る。1月の出来事が今年の出来事と思えないと吃驚するのも11月の醍醐味。醍醐味ばかりの人生。醍醐味ばかりの人人。後醍醐天皇による醍醐天皇へのとばっちり感。初めて「醍醐味」という言葉を使用したときの感慨。11月はワインレッドの趣。ワインレッドと言えばカナダ。僕はというと風邪をひいてカナダで部屋に引きこもっております。雨も降ってるし今日はどこへも行かない。やっちまった!